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青春/王兵監督

ワン・ビン(王兵)監督の『青春』を見る。映画の舞台となる浙江省湖州市織里(ジィリー)は、長江流域の子供服の加工工場が集まる街である。

遡れば『三姉妹 雲南の子』(2012年)の、中国で最も貧しい雲南省の高地に暮らす三姉妹の話、『収容病棟』(2013年)も雲南省の精神病院の話である。それらを踏まえ、雲南から200キロ先離れたここ織里に出稼ぎに来た労働者を追ったドキュメンタリーが『苦い銭』(2018年)である。低賃金・長時間の労働で「苦い銭」を稼ぐ、経済大国中国を支える「駒」である彼らに光を当て「個」として解き放った作品だ。

この織里で、今回ワン・ビン監督は『青春』をテーマに撮影した。10代後半から20代程の若者が、長時間ひとつ所に集まれば…というわけである。『苦い銭』では家族を支える出稼ぎ労働の悲哀が立ち込めていたのだが、何にせよ今回の登場人物たちはみな若いのだ。ミシン縫いも爆速で既にゲーム感覚、いや完全にゲームである。雑然とした作業場は、(おそらく爆音で)中国ロックかポップミュージックが流れている。字幕で歌詞がわかるのだが、なんというか…ちょっぴり気恥ずかしくなるような甘い歌である。そして口ずさむというよりはミシンが奏でる爆音に負けじとばかりに、彼は絶叫するのである。繰り返すが、こうして若者がひとつところに押し込められれば…恋愛ゲームの駆け引きが繰り広げられる。

当たり前のように自分のスマホを持ち自らの楽しみをも諦めない彼らには悲哀などない。彼らはまだ子どもなのだから、仕送りはすれども責任感を伴うわけではない。つまりは「親」の庇護が透けて見えている。案の定、息子の母親が、雇い主の「社長」のところへ乗り込んでくる…。まあ普通に考えて悪いのは息子の方でしょ?と思うわけだが、「親」の方は至って強気である。さて、ここから読み取れることといえば2014年まで実施されていた「一人っ子政策」だろう。なんだかんだ彼らが穏やかで危機感に希薄だというのは、甘やかされ、まあ大事に育てられてきたからであろう。しかし今後の中国は…などと、「親」でなくても心配してしまったりもするのだが。

一方で、多少の年長の仲間がいる職場では、自分たちの労働の対価について、それが著しく搾取されていることに気づきつつもある。そのあたりが『苦い銭』の時代から変わりつつある世代の一面ではあろう。労働者である自らが仕上げた縫製の種類とその枚数を記録し、給料から作業単価を割り出し雇い主に「賃上げ」の交渉をする。それはわずかなものではあるが…。コストカットの理由から、粗悪で「縫いにくい」布地を扱う事に異を唱える。世界経済の歯車として、安価な製品を世に送り出して成り立つ町工場のシステムを、そのシステム維持に我々も加担していることについてあらためて考えてみる。こうしてワン・ビン監督は、一人ひとりの人間としての彼らを見つめ続けることで、カメラを通して彼ら一人ひとりの物語を瑞々しく紡ぎ出していく。

ワン・ビン監督の作品は、9時間で三部構成の長編デビュー作『鉄西区』をはじめ、劇映画の『無言歌』を挟み、『三姉妹~雲南の子』『収容病棟』『苦い銭』そして『死霊魂』と見てきたのだが、いずれも「待つこと」「見ること」に特化している。「こと」が起こるまでカメラを据え続ける。「追う」となったらどこまでも追い続ける。それがいまだ見飽きることはないワン・ビン監督の唯一無二の映像世界なのである。先日、ついうっかりとクリストファー・ノーラン監督の悪口を書いてしまったが、映画の良し悪しとはまあ結局そういうことなのだ。

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