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バティモン5 望まれざる者/ラジ・リ監督

ラジ・リ監督の「バティモン5 望まれざる者」を見る。

2019年の「映画メモ」を読み返してみると、前作(レ・ミゼラブル)は、カンヌでポン・ジュノ監督(パラサイト 半地下の家族)と競り合った、とある。ここ数年でも、フランス郊外の「荒れた」地区を描いた映画をいくつか見ている。例えばロマーヌ・ゲレ&リーズ・アコカ監督の「最悪な子どもたち」とかジャック・オディアール監督の「パリ13区」とか、戦後フランスが棚上げにしてきた負債である移民と貧困、疎外や分断、あるいは行政や警察権力の行き過ぎた介入等の問題が、郊外の「再開発」の名の下に蔑ろにされていることに危機感があるのだ。

私たちはすでに、大きなうねりを起こしたBlackLivesMatterというムーブメントさえ忘れてしまっている。フランスでは2005年、北アフリカ出身の若者が警察に追われ、変電所で感電死した事件がきっかけで暴動が起きた。ラジ・リ監督は事件をもとにドキュメンタリーを撮り、それが「レ・ミゼラブル」に、そして「バティモン5」にも連なっていることを、まずは知るべきだ。

舞台となるモンフェルメイユ地区(ヴィクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」の舞台とである)は、パリから1時間半ほど離れた「郊外」にある。低所得者層や移民が多く「犯罪多発地区」であるという。「バティモン5」は、モンフェルメイユ地区に戦後建てられた古い10階建高層団地、ボスケ団地 5号棟の「取り壊し」を巡る話である。

主人公はマリ共和国にルーツを持つ移民2世のアビー(アンタ・ディアウ)。カメラは彼女の叔母の葬儀の様子を映し出す。弔問者が多いのは、昔ながらのコミュニティ故だろう。この団地自体が縦型の長屋のようである。遺体を収めた棺桶は、男手4名で狭い階段を使って運び出される。故障したエレベーターは何年も前から放置され、地上に下ろすのに難儀する。「この町で生きるのも死ぬのも人間らしいさがない」と、アビーの母親は呟く。

市長の急逝のため、若くクリーンなイメージの医師ピエール(アレクシス・マネンティ)に白羽の矢が立ち、市長代理に就任する。リベラル寄りの保守なのだが、蓋を開ければ想像以上にパターナルで、権力を手にすると危険なタイプだ。老朽化が進んだ団地 の取り壊しに際し市長の権力を振りかざし、住民無視の強硬な手段に打ってでる。すでにフランス移民3世代目となる黒人・ムスリムのコミュニティを毛嫌いし、治安維持と称して若者の夜間外出禁止令を執行するなど、警察を使って彼らにプレッシャーをかける。表向きは地域の「再開発」だが、目的は彼らの「排除」であるのは明らかだ。

移民サポートの活動をするアビーは市長と行政の横暴・暴力に立ち向かうため、フランス市民としての平等とコミュニティの正当な権利を掲げ市長選に立候補する。一方で、アビーの幼なじみであるブラズ(アリストート・ルインドゥラ)の燃え上がる「怒りの炎」が、この映画のテーマではある。望まれざる者/ブラズが放つ「炎」の激しさは、言うまでもなくラジ・リ監督のそれと重なるだろう。だがこのような暴力の連鎖を、政治参加によって変えて行こうとするアビーと、それに関心を持てないブラズとの間では「溝」が生まれ始めてもいる。

そんな中、団地の一室で無許可営業を続ける食堂で小火騒ぎが起こる。市長側はそれを逆手に取り、建物の崩壊を偽り住民の強制退去に踏み切る。クリスマスの前日、凍えるような寒い日のことである。自らの内に燃えたぎる怒りを抱えたブラズが向かった先は…、というあたりが物語のクライマックスとなろうか。

ヨーロッパの「線引き」とその後の混乱については、当然旧宗主国であるフランスやイギリスに責任がある。戦後になって北アフリカルーツの親世代がフランスに入植し、移民2世としてフランスに生まれ育ったブラズは、「クリスマスの前日に家を失う者の気持ちがわかるか!」と叫ぶ。ムスリムとしては逆説的な言葉であるが、要するにフランスの文化の内側にありながら受けてきた差別に贖うとはそういうことなのだ。それは強く深い言葉でもある。

監督:ラジ・リ  
出演:アンタ・ディアウ | アレクシ・マナンティ | アリストート・ルインドゥラ


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