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パリ13区/ジャック・オディアール監督

ジャック・オディアール監督の「パリ13区」を見る。ここで「フランス映画」は21世紀の現在に於いても持続可能である、という命題について考えてみようと思う。

モノクロの映像がパリの風景を写し出す。どこまでも広がる高層ビルと高層住宅の、整然と並んだ窓の中はまたそれぞれの日常が垣間見られる。リビングルームで半裸のままカラオケマイクを握るエミリー(ルーシー・チャン)は中国系フランス人だ。彼女はアフリカ系フランス人のカミーユ(マキタ・サンバ)に、フランス人らしい軽妙な「語り」で誘いをかける。

パリ13区は、移民が多く暮らす再開発地区である。エミリーは祖母の所有する高層住宅に住んでいる。祖母は認知症で施設におり、彼女は空き部屋を貸して収入を得ようと考える。彼女は高学歴だが今はテレホンオペレーターとして働いている。高校教師のカミーユは、職場にも近いこの家を気に入り住み始める。エミリーはカミーユに好意を持つのだが、それ以上の関係を望まないカミーユは、エミリーの束縛を嫌いルームシェアを解消し出て行ってしまう。

ここまでの展開から、この「パリ13区」という映画が、台湾からの移民三世であるエミリーと、親の代から移民としてパリに暮らすカミーユという、ともにフランスに育ちフランスで教育を受けたの男女の関係が描かれているいうことがわかる。

だが、この映画にはもうひとつ軸線が引かれている。
法律を学ぶため32歳でソルボンヌに復学することを決めたノラ(ノエミ・メルラン)。故郷のボルドーでの叔父との関係に重荷を負っている。年下の学生たちが主催するパーティーにノラは金髪のウイッグをかぶって参加するのだが、有名なカムガールのアンバー・スウィート(ジェニー・ベス)と間違われる。SNSで写真が拡散され、大学での居場所を失ってしまう。
ノラはカミーユが働く不動産屋で職を得るのだが、「彼女とカミーユ」との関係と、「彼女とアンバー」(彼女とは鏡像関係でもある)とのネットを介した交友が交錯しながら、物語の全体像、つまり冒頭の「エミリーとカミーユ」の微妙な関係が少しづつ浮かび上がってくる。

「エミリーと母親(おそらく台湾に住む)」との関係、「エミリーと姉(医者なのだ)」との関係、「エミリーと祖母(認知症で彼女を認識できない)」との関係、一方の「カミーユと父親(わりと強権的である)」との関係、「カミーユと妹(年が離れていて吃音持ちだ)」との関係、その全てが移民としてのバックグラウンドと、「フランス人として」当たり前に生きてきたはずのパリという環境の、自分の存在を宙吊りにする不可視な抑圧について、例えば、中華料理店で働く若い同僚達の仕草や、不動産屋として偶然再会した内装業者の教え子の姿を通して見ることも可能だろう。

さて、現代のパリの、小さな日常を描いたこの映画が、かくも繊細で美しく輝いてみえるのだとしたら、ジャック・オディアール監督とともに共同脚本を手がけたセリーヌ・シアマ(「燃ゆる女の肖像」の監督でもある)と、若手監督のレア・ミシウスの存在は大きいだろう。確実に言えるのは、ノア役で「燃ゆる女の肖像」では主演をしたノエミ・メルランを、自己のアイデンティティと葛藤する女性として、そしてまた優しくもどこまでも曖昧である「エミリーとカミーユ」の関係性の物語を、背後から支える重要な役として演出するためには、オディアール監督にとって彼女たちのふたりの「助け」が必要であったということだ。
また、この映画で大きな比重を占める性描写については、全て「振り付け」として演出の中で管理されたものだという。これもこれからの「映画」では当たり前になっていくのだろう。

1952年のパリに生まれ今年で70歳となるオディアール監督は、こうして新たな視点を得ることで、この「パリ13区」という映画に於いて「フランス映画」を更新し再生したのではなかろうか。必見の映画である。

監督:ジャック・オーディアール  
出演:ルーシー・チャン | マキタ・サンバ | ノエミ・メルラン


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