ガダマーとジェンドリンの意外な接点
巻田悦郎先生のご著書、『ガダマー入門:語りかける伝統とは何か』をちらと読んだとき、興味を持ったのが、「了解に共通性は必要なのか」の節です。ここでのガダマーによるシュライアーマッハーやディルタイへの批判は、ジェンドリンが思っている以上にジェンドリンの立場と近いと思っています。(なおここで言われている「了解」とは、 “Verstehen / understanding”のことで、他の訳書では「理解」とも訳されています。)
この点に関しては、ジェンドリンはディルタイよりもガダマーに近いというのが私の見解です。
一般的には、ガダマーによる解釈学史観においては、シュライアーマッハーやディルタイはロマン主義的解釈学、ハイデガーやガダマーは哲学的解釈学とされ、ジェンドリンの師匠であるヨハヒム・ヴァッハ (Joachim Wach)は旧時代的なロマン主義的解釈学の方に区分されています。
しかし、こと「同質性」に基づく他者理解への懐疑的立場という意味では、ヴァッハはガダマーに近かったのではないかというのが、私の見解です。
そして、教え子のジェンドリンは次のように語っているのは、同質性に基づく他者理解への懐疑的立場を継承したものだと私には思えます。
こと他者理解の根拠という話に関してのみ言えば、「私たちはお互いの中に、以前はどちらもなかったものを創造する」と主張するジェンドリンは、「両者が予め同じ構成要素を持っている」ことを前提とした他者理解を主張するシュライアーマッハーやディルタイからは本人が思っているよりも遠かったのではないかと思っています。
詳細はまだ英語でしか書けていませんが、こちらのnote記事をご覧ください。
Joachim Wach: the forgotten man behind Gendlin’s understanding of Dilthey
補足
具体的には、ガダマーの主著『真理と方法』におけるシュライアーマッハーやディルタイの他者理解論への下記のレビューは、ジェンドリンを研究している私にとっても、非常に参考になりました。
参考文献
ハンス=ゲオルク・ガダマー [著]; 轡田収・巻田悦郎 [ほか訳] (2008). 真理と方法:哲学的解釈学の要綱, 2 法政大学出版局.
巻田悦郎 (2015). ガダマー入門 : 語りかける伝統とは何か アルテ.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?