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語と視覚的パターン:ジェンドリンとランガーの考察を踏まえて

画家がモチーフを借りるとき、例えば、ロイスダールが新鮮に創り出した朽ち果てた枯れ木を借りるとき、そのモチーフは、言葉が使われるように「使われる」と言えるだろうか。 (Gendlin, 1997/2018, p. 178; cf. ジェンドリン, 2023, p. 290)。

ひょっとして、ジェンドリンは次の絵 (Ruisdael, 1654-5) の中央下に描かれた朽ち果てた枯れ木のことに言及していたのではないでしょうか?

(Ruisdael, 1654-5)

いずれにせよ、『プロセスモデル』の「第VII‐B 章 原言語」にある「f-9) 論述的使用対芸術」の節 (ジェンドリン, 2023, pp. 290-2) において、ジェンドリンは語と視覚的パターンとを対比しています。特に、彼は視覚的パターンの方の質というものを強調しています。

画家がロイスダールの木を使うとき、私たちに影響を与えるのはやはり視覚的パターンの質である。例えば、木の代わりに「ドラマチックな荒涼とした木」という小さなプレートが書かれていたとしても、その効果は起こらない。…語は、音質という点ではなく、その語がインプライする他の語や連続のシステムという点で、他の語と連動しなければならない。 (Gendlin, 1997/2018, p. 178; cf. ジェンドリン, 2023, p. 291)

一方、スザンヌ・ランガーは、語の方の特徴である音質に依存しないことを強調しています。

例えば、「豊かな」という語が、みずみずしい、熟れた、本物の桃に置き換えられたとしたら、そのようなシンボルを前にして、「豊かな」という概念に完全に目を向けられる人はほとんどいないだろう。シンボルが不毛で無関心であればあるほど、その意味的な力は大きくなる。桃は語として作用するにはあまりに良すぎる。私たちは桃そのものに関心がありすぎるのだ。だが、小さな雑音は概念の理想的な運搬具である。 (Langer, 1942/1957, p. 75; cf. ランガー, 2020, p. 156)

ジェンドリンは、「木はまた、線や色のパターンという点で、絵画の他の部分と視覚的に一緒に機能しなければならない」(Gendlin, 1997/2018, p. 178; cf. ジェンドリン, 2023, p. 291)と主張します。ランガーもまた、「視覚的形式は構成要素を同時に提示する」とほぼ同様の主張をしています。

視覚的形式 — 線、色、比率など — は、言葉と同じように分節化、つまり複雑な組み合わせが可能である。しかし、この種の分節化を支配する法則は、言語を支配する構文の法則とはまったく違いがある。最も根本的な違いは、視覚的な形式は論述的ではないということだ。視覚的形式は構成要素を継起的に提示するのではなく、同時に提示するため、視覚構造を決定する関係は一度の視覚行為で把握される。 (Langer, 1942/1957, p. 93; cf. ランガー, 2020, pp. 186-7)。

上記の一節で、ランガーが構成要素を逐次的にではなく同時に提示するのは「論述的ではない」と論じているのは、「論述性」の特性が伝統的に次のように考えられてきたと彼女が述べていることと関係しているでしょう。

…語にはリニアで、分離的で、継起的な順序がある。ロザリオの数珠のように次々と連なっている…。…われわれは名前の束を同時に話すことはできないのである。 (Langer, 1942/1957, p. 80; cf. ランガー, 2020, p. 166)

…すべての言語には、私たちの観念を一列に並べることを要求する形式がある。…ちょうど実際には重ね着される服が、物干し竿に並べて吊るされなければならないのと同様である。言語的シンボルのこの性質は、論述性として知られている…。 (Langer, 1942/1957, p. 81; cf. ランガー, 2020, p. 168)

しかしながらジェンドリンは、すべての語が論述的なシンボルとして機能するわけではないことを指摘し、「音は関係ない、 詩 — これもまた芸術の一種である — を除けばであるが」 (Gendlin, 1997/2018, p. 178; cf. ジェンドリン, 2023, p. 291) と述べています。

ランガーもまた、詩には非論述的な特徴があることに言及しています。

詩の素材は論述的だが、産物である芸術的現象は論述的ではない。その有意味性は、全体としての詩のなかに、音と示唆、言明と寡黙が複合した形式としての詩のなかで純粋に暗黙的にあり、翻訳で元の姿を再生することはできない。 (Langer, 1942/1957, pp. 261-2; cf. ランガー, 2020, p. 487)

以上、私はジェンドリンとランガーの議論を紹介しましたが、ジェンドリンが「第VII‐B 章 原言語」での次の節「f-10) 新しい表現」で最も主張したかった次のことには言及できませんでした。

言語が発達したとき、言語と芸術の間にも分裂があった。この分裂は、新しい芸術作品がつねに新しい視覚的・音響的表現であるのとは対照的に、言語が自己閉鎖的(私はそれを「論述的」とも呼ぶ)なユニットであるためである。 (Gendlin, 1997/2018, p. 180; cf. ジェンドリン, 2023, p. 293)

しかし、少なくとも、「f-10) 新しい表現」への前段階としての「f-9) 論述的使用対芸術」を理解するためは有益な紹介であろうという自負はあります。


文献

Gendlin, E.T. (1997/2018). A process model. Northwestern University Press. ユージン・T・ジェンドリン [著]; 村里忠之・末武康弘・得丸智子 [訳] (2023). プロセスモデル : 暗在性の哲学 みすず書房.

Langer, S. (1942/1957). Philosophy in a new key: A study in the symbolism of reason, rite, and art (3rd ed.). Harvard University Press. スザンヌ・ランガー [著] ; 塚本明子 [訳] (2020). シンボルの哲学 : 理性、祭礼、芸術のシンボル試論 岩波文庫.

Ruisdael, J.v. (1654-5). Jewish Cemetery.

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