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私が間違えていたこと。ー祖宗の意味

私の先祖は、1600年代にこの地(マキノ町石庭)に生きていました。永く、当時の戦国武将の末裔の一族だと祖父から聞かされていました。卑怯な奴、弱い者いじめには毅然と立ち向かえと教えられました。当時、確かにマキノ町には、海津田家氏という巨大豪族が居ました。現在のマキノ町沢区・長法寺に居館を構えた一族です。

北近江に戦国大名としての確固たる地位を築いた北近江浅井氏とも縁続きでした。マキノ町海津区正宗寺には、禅定門の戒名が残されていますね。ですから、戦国武将とお寺の開祖との違いが明確にできなかったんです。私が、古くからこの地で、お坊ちゃんでいられたのは、この生活環境に拠ります。但し、今と昔は違うと云うのも現実ですし、明治以降の村の近代化のなかで、各区民が自発的に声を上げられる環境が整います。

今の地区の人間を恨むなとか、例え冤罪でも許してやれ。そう云う話になるのも、当時の劣悪な集落の生活環境に理由がありました。「私らは、学校なんかに上がれなかった。いい服もご馳走もない」こんな状況です。繰り返し、子供の頃から答えを探してきました。熊野市橋本市の神社にも照会を掛けました。

地元のご縁がある神社の神主や寺院の住職にもお聴きしました。どうしても、分からないのがその昔のことじゃ。そうも云われます。「あんたとこが、一族の片割れなのは想像がつく。」どうして、もう少ししっかりした証文が残っていないのか?「石庭文書は祖父が区長の時、昭和30年代に焼いてしまえ、それはわしの責任でいい!」そう祖父が決めました。

何もかもが虚構の殿様、それが今の私なんです。昔の温かき家族のかたちもありません。その結果がこれだ!その程度の焦燥感です。

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