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「なぜ」を伝える

今日も何か役立つnoteは無いかと #商業教育  で検索。すると延岡商業高校で行われた授業の記事に出会った。

優れたリーダーはどうやって行動を促すか

この授業ではサイモンシネック氏のTEDトークが教材に。

TEDトークは良い教材になるので私も使ったことがあるが、この動画はアップルやマーチン・ルーサー・キング、ライト兄弟を例にあげ、なぜ成功したのかをシンプルなゴールデンサークルを用いて説明している(日本語訳付き18分弱)。かいつまむと、普通の人はWhat(何)をしたら良いかはわかっているし、How(どのように)したら良いのかもわかっている。しかしWhy(なぜ)行っているのかはぼんやりしている。成功している人たちの共通点はWhy(なぜ)行うかが明確で、How(どのように)するべきかを追求し→What(何)かを結果的に生み出していく。アプローチが正反対であるというのはとても分かりやすい。

この動画を見て感じたこと

改めて、自分事として「なぜ」から考えること、それを伝えることの必要性を感じた。
・なぜ noteを教育に活用しようとしているのか
・なぜ 授業で高校生がオンラインショッピングモールに取り組むのか
・なぜ SNSやnoteを実名で発信するのか
・なぜ 商業教育が活性化しないといけないのか
・・・etc きりがないので、まずは上記を整理して情報発信できるようにしよう。

ライト兄弟の余談

私の郷里、山口県下松市は長岡外史という偉人の出身地でもある。

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 長岡外史(ながおか がいし)は日本のスキーの先駆者、日本の民間航空の父と言われています。インパクトのあるプロペラ髭は一度見たら忘れられないですよね。なぜ、日本の民間航空の父と言われているかというと、日清戦争中の日本にはライト兄弟より早く有人飛行を成し遂げられる可能性を持った二宮忠八(にのみや ちゅうはち)という衛生兵がいた。二宮は軍に飛行機の開発を求めたが、結果的に戦時中であるということや、海外でも成功して無いということで、長岡は彼の上申を認めなかった。
 しかし、その後二宮の着想はライト兄弟に先行しており、軍上層部の先見性の無さが日本人による飛行機の発明の機会を失った一因となったことに気づいた長岡は長文の詫び状を二宮に送り、直接面会して謝罪をしたという。
 その後の長岡は航空機の可能性を信じ、予備役となった後も二宮の研究と功績を後世に伝え、飛行機の普及を計り、大正4年(1915年)1月に日本飛行研究会を母体とする国民飛行協会を創設し、そこで人材の顕彰・育成、啓蒙活動を精力的に行ったのだ。

Clubhouseの山口を盛り上げる作戦会議室にて

 一度Clubhouseの「山口を盛り上げる作戦会議室」にて長岡外史の話が出た時に「日本が初になった飛行機の可能性を奪った長岡外史が許せない」という方がいた。
 まぁ気持ちはわからないでも無い。日本が初だったら私も嬉しいと思う。しかし、二宮はライト兄弟が有人飛行を成し遂げた時点で動力以外ほぼ完成していた飛行機開発をやめてしまっている。先のTEDトークの動画を見た人ならピンとくるかもしれないが、「なぜ」そこで止めてしまったのだろう。今となってはわからない。二宮は「なぜ」飛行機を飛ばそうと思ったのか。「なぜ」が明確だったら止めなかったのかな?なんて考えてしまう。その「なぜ」を二宮に問う協力者がいてくれてたらなぁ・・・などなど。
 それと長岡外史は自分の過ちを認め、詫び状だけでなく直接謝罪までしている。今の政治家にそんな人いるのだろうか。いて欲しいけど。いやきっといるはず。自分が知らないだけだろう。でも逆に今の若者が政治家になった方が出来るのかも。若者に期待!中堅にも期待!ベテランはお願いします!
 最後に。人のやること、思うことは時として間違うこともあるし、現在からすると過去の判断は簡単に批判もできる。ただその時代や環境、役割を担わないとわからない状況や判断材料もあるはずだから、その決断は尊重したい。私たちは今、新型コロナの影響で色々な難しい判断を求められている。それぞれの長は本当に身を削って判断していると思う。だからこそ私たちは人の決断を尊重しながら、自分で決断をしなければならない。人まかせじゃダメ。そんなことをつらつら思った一日でした。



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