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「僕の将来の夢」は無意味?

「僕の将来の夢」というタイトルの作文、小学生のころにした記憶ないでしょうか?小学校6年生の時にこれを書いたとすると、大学卒業するまで10年です。今の時代10年後って予測できるでしょうか?

データサイエンティストが最も魅力的なお仕事

ハーバードビジネスレビューの記事(Data Scientist: The Sexiest Job of the 21st Century)に下記の記述があります。Googleのチーフエコノミストが、「次の10年では、統計学者が最も魅力的な仕事になるだろうともし私が1990年代に予測していたら、冗談を言っているのだろうと思っただろう」と書いています。

Hal Varian, the chief economist at Google, is known to have said, “The sexy job in the next 10 years will be statisticians. People think I’m joking, but who would’ve guessed that computer engineers would’ve been the sexy job of the 1990s?”

実は私自身、原子力工学を勉強していて、2001-2003年にアメリカ留学していた時、原子力は統計が大事なので、統計を副専攻でとることを考えましたが、数学はお金(仕事)にならなかったので副専攻にしませんでした。

予測できないのに、将来を考えて意味あるの?

私自身、もともと、目標を立てて、現状を把握して、何が足りないかを明確にしてそれを埋めていくというやり方が得意ですし、そうやって受験などもそれなりにうまくやってきました。ただ、本当に世の中の変化が早くなってきていて、10年後は本当にどうなっているのか予測もつきません。

予測できないなら、変化に対応できるようになろう

予測できないなら、どうすればいいのか?
ミネルバ大学が提唱しているHCは、批判的思考力、創造的思考力力、コミュニケーション能力、インタラクション能力の4つで、これはスキルや知識(原子力に関する知識、英語)などの1段上の考え方に近いものです。
こういうスキルが身についていれば、変化に対する対応力は高められそうです(一度身に付ければ適用範囲が広い)
見方を変えると、わざわざ苦手なことを無理して習得してもすぐに使いものにならなくなってしまう可能性があるので、
1)スキルを習得するための学び方を身に付ける
2)嫌なことを無理してやるのではなく、どうせやるなら好きなことをやる
3)考えている暇があったらとりあえずやってみて、一段上の考える力などが身に付くかを意識する

最近の世の中の変化を考えると、「将来の夢」ということを考えるよりも柔軟に興味のあることを次から次へとやってみるということの優先度が上がってきているのではないか?と感じるわけです。

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