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書評:【哲学】ツァラトゥストラかくも語らず

ニーチェのツァラトゥストラかく語りき(佐々木中 (翻訳)、河出文庫 第6刷)の書評を書いてます。

はじめに、この本のアマゾンの書評を見ると、「非常にわかりやすい」とありますが、哲学の知識がない私には何が書いてあるのか全く理解できませんでした。3回挫折して、やっと100P読んだ頃に、これは無理このままだと100年経っても読めない、とりあえず意味が分からなくても通読するには1日に1節(数ページ)と決めてとにかく読むことでやっと少しずつページを進めていけるという感じです

とりあえず、「ニーチェのツァラトゥストラかく語りき」にどんなことが書いてあるのか知りたいということであれば、
YouTubeのアバタローさんのビデオ書評【永遠の名著】ツァラトゥストラ|ニーチェ ~無敵の自己肯定感を生み出す、究極の思想とは?~
がうまくまとまっていてお勧めです。2倍速で見れば10分で「ニーチェのツァラトゥストラかく語りき」を把握できます。

未人・超人・永劫回帰って何?といったことであればこのビデオで理解できます。

お勧めは、まずこのビデオをみてこれ以上にニーチェの哲学について理解する必要があるのか?を自分に問うてみて、必要があるのであれば本を読見進めるといいと思います。重ねてになりますが、少なくとも私程度の知性では、一回通読するくらいで読める本ではないです。

なお、アバタローさんの書評に、ニーチェ → バタイユ(Bataille) → 岡本太郎という思想の影響の流れがふれられていますが、薄さ的にも、ニーチェのエッセンスを感じ取るためにも、まずはニーチェはアバタローさんのまとめくらいから入り、岡本太郎さんの「自分の中に毒を持て」を読んでおくというのはステップとして非常に良い読み方ではないかと

なぜ、哲学を学ぶのか?

私が少し哲学をかじってみた印象では、ニーチェのツァラトゥストラかく語りきを1冊読むだけでも莫大な時間が必要そうです。そもそも、どれだけ時間をかけても理解できるのか?すら怪しいと言うのが本音です

そこで、哲学を何故学ぶのかといえば、「哲学を学ぶことは、有史以降の人間の考え方がどのように変遷・進化してきたかを理解することがであるから」と自分の中で一旦定義しました。「なぜ、哲学を学ぶのか?」は別記事にしました。よろしければこちらもぜひお目通しください

以下のセクションでは、ニーチェを通読して気づいたことなどのまとめです。2回目があるのか…という疑問がありますが自分の読書、ニーチェとの対話の記録ですので残しておきます

「神は死んだ」「超人」について

(2021年9月: 43歳 1回目)
・神は死んだ、唯一の神様とか絶対的な真理があるわけではない。
・だから、正解は人によって違う
・超人とは乗り越えなければならない何か(どういうこと?)
・超人とは遊戯三昧を実践できることに近い
・つまり、何か(例:お金)が貰えるからではなくやってる事自体が楽しい
・超人になるためには、3つのステップ(駱駝・獅子・幼子)を経る

3つの変化(駱駝・獅子・幼子)について

(2021年9月: 43歳 1回目)
・超人にいたるために必要な3つのステップ
・駱駝:「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとし」
・獅子:誰かに言われてではなくて、自分はこうしたいで行動できる
・幼子:自分の興味の赴くまま行為自体に没頭(遊戯三昧)

例:誰かの指示で決められたとおり働くということは自分で決められていないので獅子に到達できていないということではないか?

参考:末人とは、常に安楽を求め、冒険を嫌い、憧れを持たない人々
(※ニーチェは「神は死んだ」=絶対的価値観のない世界で生きる人々の多くがこの状態に陥るのではないか?と言っている?)
例:某銀行のシステムエラーで誰も問題を解決しようとしない状態にある人たちは社会的な地位はよく見えても末人

以下の通り1回目の通読ではほぼ理解できなかった。そもそも各部を通じて伝えたいことの全体像を把握するのが私には困難

第一部:(上記コンセプト以外部)-超人について

(2021年9月: 43歳 1回目)
・「山上の木について」(P68)は少し分かった??
・「創造者の道について」(P105)は少し分かった??

第二部:超人について

(2021年9月: 43歳 1回目)
・「徳ある者たちについて」(P157)は少し分かった??
 →君たちの自己そのものを愛すること、それが諸君の徳だ

第三部:永劫回帰

(2021年9月: 43歳 1回目)
・「新旧の石版について」(P337)
 →真理に忠実たること-これができる者少なく、できる者もしたがらない
 →善人は真実を語らず、屈服し、服従する
 →言いなりになるもの者が自らの本心の声を聞くわけがない
 →名誉を与えるのは、君たちがどこから来たかではなく、どこへいくか

例:自己として独立できていないもの(会社の意向に沿わざるを得ない)は超人たり得ない?

第四部:永劫回帰

(2021年9月: 43歳 1回目)
・「魔術師」(P428)
 →賤民の時代だ。何が偉大化、何が卑小か、誰が知ろう?
 →誰が運良く偉大な者を探し当てるというのか?
 →愚か者だけだ。愚か者にはその運がある。

例:21世紀のように複雑な世の中(東大→大企業でとりあえず間違いないというような正解がない時代)において、誰が正解を知っているというのか?一見、起業家は愚かに見えるかもしれないが、偉大なものになれるチャンスがあるのは自分のやりたいことをやり抜いている人たちの中にいるのではないか?

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