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【書評】勇者たちの中学受験

勇者たちの中学受験 - おおたとしまさ

【一言】
どのような挑戦でも「大切なのは、どこにたどり着いたかではなくて、どう歩んできたかなのだ 」
当たり前のことなのに、偏差値に惑わされ1つでも上を目指してしまうという過ちを親たちはおかしがちで、すべてがおかしくなっていく…
結果、こども時代の大切な多感な時期という莫大な投資をしたにもかかわらず、「私には、努力して挑戦する勇気がある」というこどもが失敗をおそれず挑戦する経験を得られたはずだったのに、子どもたちは傷ついただけで第一志望合格という思った結果は得られず不幸になるという事例が塾ビジネスの中で翻弄される親子で見られるというルポは、中学受験に望む前にその親が目を通しておいて損はない1冊。本中最後の解説だけでも買う価値有

【要約】
・中学受験に限らず、大量の課題をこなす処理能力と忍耐力と、与えられた課題に疑問を抱かない能力の高いものばかりが有利になるこのクソみたいな受験システムに、どうやったら過剰適応しないで受験を乗り切れるのかという話である

・一般にはペーパーテストで発揮しやすい類の知性が高いことや、努力ができてしかもそれが点数に結びつきやすいことを中学受験に向いているというようだが、そのような視野では中学受験という経験から得られ物が矮小化されてしまう

・ 今、ここでの子供の努力と成長に目を向け、励ますことを中学受験を志す子の親は忘れてはいけない

どんなに優秀な子がどんなに努力したって起こりうる不合格という現実を受け入れる覚悟をまず親自身が持つこと。このような心構えで中学受験に臨むこと。それが中学受験を志すこの親が最初にすべきことだと私(著者)は強く思う

人生には結果よりも大切なことがある。傷つくことを恐れず挑戦すること、努力すること、支え合うこと、感謝すること、自分の信じることをやり抜こうとすること、これらが全て親子の誇りとなる。結果によってもたらされた地位や名声は失うことがあるけれど、過程によってもたらされた誇りは誰にも奪われないし、何年経っても色あせない

【以下、本より抜粋】

エピソード1:アユタ

・大多数の中学受験生が塾に通い始めるのは小3の2月、中学受験業界では「新小4」と呼ばれる時期から
・新小4になっての「組分けテスト」でアユタは校舎約30人の中で一番になった。これはいけるとの感触をもった
・ 小6の夏休み直前の組分けテストでは偏差値が40まで落ちた。これは中学受験に必要な一通りの学習範囲を終えて、すべての範囲から出題される初めてのテストで受験の上で大きな意味があるテスト。そこで一番下のクラスに落ちた
・ 慶応普通部の代わりにサレジオを、栄光の代わりに鎌学を、淺野と志望校を変更した 
・人生において、いくら努力したって、思い通りの結果が得られる保証なんてどこにもないってことは多くの大人がわきまえている
・私は「あー、鎌学かー第3志望かー」と繰り返しぼやきながらうなだれた
・第3志望のためにこれまで4年間頑張ってサポートしてきたわけではなかったりというのに…というのが正直な気持ちで、しかもこの第3希望は中学受験を開始した当初の目標よりもだいぶ低い。うぅぅぅぅぅ… 
・ 四日間連続で計6回の入試をやり遂げた。疲れているに違いないのに帰宅するとアユタはすぐに公園にでかけていった
・私(親)は一度はそれを信じて疑わなかった。子供の能力なんて所詮どんぐりの背比べだから、親がリソースを注ぎ込めばどんな子でもみんなが羨む難関校に合格できるものだと思っていた。でも、違った
・目標に向かって頑張る経験をさせたいと思って中学受験をはじめ、中学受験は結果ではないと何度も学習し心に刻んでおいたにも関わらず、最後は結局、結果だけに目がいってしまった。我ながら情けない
・今はとにかく、噂に聞きし中学受験とやらに、疲れた。

エピソード2:ハヤト

・隼人は塾で3冠に最も近かった。男子最難関である灘、開成、筑駒の全てに合格することが三冠
・ハヤトは小4からずっと早稲田アカデミーの特待生でほとんどの授業料が免除
・ 下のクラスの子供達の授業料で成績上位者の個別指導などが行われているできる生徒がさらに優遇されどんどんできるようになっていく仕組みが塾にはある
・ 幼い頃は計算ドリルがなくなるともっとやりたいと言って泣き出すような子供だった。塾から帰って来たら嬉々として再現授業してくれる子供だった。でもいつしか言われないとやらない子になっていた
・ 母からの指示で毎週の宿題の全問題を二巡こなし、土曜日には週テストの四段階の過去問を全てこなし、さらに父が選んだ問題集やら過去問やらをやらされる。それでもハヤトは両親の期待に応え続けた
・ 三冠初戦の灘ツアーに参加。早稲アカの仲良し3人組の中でハヤトだけがスピカ生として参加。同じホテルに宿泊しているのに受付窓口も違えば食事会場も授業も違う。しかもスピカ生は部屋がアップグレードされてクラブフロアでの宿泊
・うちは確実だけどね、と母は初戦の灘に高みの見物くらいの感覚で望んだ
・ 新横浜で新幹線を降りてようやく親子二人になった時、ハヤトが「やっぱり駄目だったかも」と言った
・ 中学受験生の頂点である三冠をハヤトが達成すれば自分は中学受験生の親として頂点に立てる。その自分の姿を父は想像していた。ほぼ確実に現実になるものだと父は信じて疑っていなかった。しかし、それが崩れ去った。
・ 灘の入試を終えて風間家はとうとう壊れた。
・灘の不合格を確認、三冠の夢は早くも崩れ去った。塾に不合格を伝える。その夜、早稲アカの校舎から全所属生徒の保護者を対象にしたメールマガジンが届いた。タイトルは「速報 灘1名合格」だった。
・塾も商売なのは分かる新年度が始まるこのタイミングで早稲アカのあの校舎から灘の合格者が出たらしいと塾生からの口コミが広がるのを期待しての戦略だろう。それにしても落ちた者がここにいるというのに何故このタイミングでそんなメールを配信するのか、不合格になった塾生親子の気持ちよりも新規顧客獲得が優先ということを思い知った
・ 三冠を逃し、家庭が壊れ、茫然自失の母にこのメールが精神的追い打ちをかけた 
・その後の模試の結果は散々だった。秋口までの模試では常に開成・筑駒合格80%を維持していたのに5本勝負では50%がやっと。20%にまで落ちることもあった。 
・なんとか滑り止めで受けた聖光には合格
・開成の不合格を伝えると塾の先生は絶句。絶句していたいのはこちらなのにそれでも勇気を絞って振り電話をしたのにそれはないだろ。さっき成功の合格を伝えた時には淡々としてたんだから今回も淡々としてくれよプロだろ
・ものすごく嫌な思い仕事が残っていた。塾への電話。三冠の一つも受かりませんでしたと報告しなければいけない。それを母親の体は拒絶した。その葛藤を隠すように涼しい顔をして息子にスマホを渡す。塾に電話して。我ながらひどいと思う。もし合格だったら喜び勇んで自分で電話したはずだ。我ながら情けない親だと思う
・ 山間に最も近いと言われていた我が子が本番で実力を発揮できなかった理由はあまりにも明白だ土壇場で家庭という足場がふらついたからだ
・東大合格者数で全国でも五本の指に入る聖光学院に合格するなんて世間一般の中学受験からしてみたら完全に勝ち組だ。それなのにハヤトの中学受験は残酷物語のように感じられる。中学受験の成功ってなんだろうか
・ハヤトを見ていると、人間として何らかの機能が欠けている方が中学受験勉強で良い成績を取るという意味での有利なのではないかと思えてくる。中学受験に限らず日本の受験システムはそういう仕組みになっているのではないか
・ハヤトは聖光入学後はまったく無気力になってしまって小テストもいつも0点。中間テストもほぼ学年ビリ
・ ハヤトがこれからやらなければいけないことは受験エリートとしてのプライドを回復することではなくむしろ偏差値やテストの点数で人間を評価する価値観との決別だ。両親がこれまで散々飲ませてきた劇薬の解毒とも言える
・ いもいもには森の生活と呼ばれる野外プログラムがある。森の生活に参加した日いもいもの SNS にキラキラとしたハヤトの笑顔が掲載された。こんな表情を見たのは何ヵ月ぶりいや何年ぶりかもしれない 
・子供がハッピーなら親はそれだけで幸せになれる
・最近社内にいる中学受験の親向けの LINE グループに、社長自身の息子が受験することもあり。みんなで情報交換をしようと勝ち組先輩ママとして私はグループに入れられた
・ 学習スケジュールをどうやって管理するかなどそこで行われる視野の狭いやりとりが私には滑稽に見える。でもそこで必死になっている姿はかつての自分だと感じた

エピソード3:コズエ

・塾選びは東京都大田区にある「うのき教育学院」を見つけた。1教室だけ、3学年で合計約100人の生徒に限定して指導を行っている。例年すぐに定員はいっぱいになってしまうが教室を増やすつもりはないという塾に通うことにした
・こずえも決して勉強をサボっているわけではなかったがやっぱり中学受験の偏差値50は難しいんだなと実感した。
・コズエの学力を持ってコズエにできる努力の範囲で無理せずに入れる女子中高一貫校に出会えれば、コズエの中学受験は大成功なのではないか?そういう学校できるだけたくさん見つけてあげることが自分達両親の役割のではないか? 
・塾の先生に勇気をもらってコズエはだめかもしれない挑戦を選択できた結果はやはりダメだったけれど結果よりも選択できたこと自体に価値があると思えた。
・背伸びして挑戦した学校は残念ながら不合格だった。こずえははらはらと涙をこぼした
・再度、自分にとっては背伸びとなる学校に挑戦、やはり不合格だった。こずえの目からはやはりポロポロと涙がこぼれる
・ 当初大本命の学校は4回設定されている入試のうち最後の一回にかけることとなった。
・試験を終えて出てきたコズエはいつになく早口で理科と算数が特に難しかったとまくし立てた。ダメだったんだなと瞬時に母は判断した
・「多分ダメだと思う」こずえは大きな声でそう言いながら強めにクリックし結果を確認…合格していた
・ こずえの部屋のドアをそっと開ける。あどけなさが残る笑顔をしばし眺める。確かにあどけないけれど、一方でその寝顔ははっきりと主張していた。「私には、努力して挑戦する勇気がある」

(著者の解説)

・中学受験で大切なのはどこにたどり着いたかではなく道を歩んできたかなのだ
・中学受験は親次第だなんて、親を競争に駆り立てるためのまやかしでしかない
・通う気もないのに最難関校合格の称号を得るために行われる俗に言うトロフィー受験は中学受験の恥部
・ 中小の塾を選ぶ場合いくつか観点があるが、どれくらいの年季が入っているかというのは時間の洗礼を受けてなお生き残っている塾なのでそれなりに価値がある
・偏差値でいえば、コズエが進学した学校はハヤトの学校よりも、アユタの学校よりも下に位置する。しかし、中学受験の満足ではコズエがダントツに高い。志望校合格という事実の他に自分には全力で支えてくれる味方がいる、自分には努力して挑戦する勇気がある、という確信を中学受験に経てコズエは得た
・ 中学受験の偏差値なんて12歳時点でのものでしかない。12歳の時点で3冠を達成したからといってそれにすがって一生を生きることなどできない
・中学受験に限らず、大量の課題をこなす処理能力と忍耐力と、与えられた課題に疑問を抱かない能力の高いものばかりが有利になるこのクソみたいな受験システムに、どうやったら過剰適応しないで受験を乗り切れるのかという話である
・一般にはペーパーテストで発揮しやすい類の知性が高いことや、努力ができてしかもそれが点数に結びつきやすいことを中学受験に向いているというようだが、そのような視野では中学受験という経験から得られ物が矮小化されてしまう
・ コズエは3人の中では最も中学受験に向いていたと著者は思う中学受験という経験から人生を生きる上で大切な教訓をたくさん得たからだ
・ 今、ここでの子供の努力と成長に目を向け、励ますことを中学受験を志す子の親は忘れてはいけない
・どんなに優秀な子がどんなに努力したって起こりうる不合格という現実を受け入れる覚悟をまず親自身が持つこと。このような心構えで中学受験に臨むこと。それが中学受験を志すこの親が最初にすべきことだと私は強く思う
・ なんとか子供が中学受験に堪えて、せっかく最難関校に合格しても成績不振に陥り、不登校になり、しまいには退学してしまったというケースも多数ある
・人生には結果よりも大切なことがある。傷つくことを恐れず挑戦すること、努力すること、支え合うこと、感謝すること、自分の信じることをやり抜こうとすること、これらが全て親子の誇りとなる。結果によってもたらされた地位や名声は失うことがあるけれど、過程によってもたらされた誇りは誰にも奪われないし、何年経っても色あせない
・とはいえ人生においては時々一応の結果が出ることはある。その結果は人生の一瞬の状態を写した一枚の写真にすぎない。そこにどんな解釈を付け加えるかわ常にその後の生き方が決める。中学受験は12歳にしてそういったことを学ぶ絶好の機会でもある


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