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書評: ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考

西洋哲学や仏教に興味を持ったらぜひ入門書として手にとって頂きたいオススメの一冊(アマゾンの評価と書評も見てみる)

【概要】
気になった仏教思想(哲学)は、3つ

①「因-(縁)->果」
②「空」(唯識と諸行無常は空の一部を表現?)
③ 利他と自利

本書より

近代以降の西洋哲学のエッセンスがすでに色々入ってきているのかも??って思って、因果+縁起の話は、原因と結果の法則、空はマインドフルネスとか禅とかコンセプトが広いからむつかしいですが、唯識はカントの純粋理性批判(物自体と現象)、自他と自利は、自分の利益とあなたの利益は成立しなければならないというのは、「正義とその他の正義」となりがちな現代の諸問題の解決につながる気も

【論理でわかる仏教の思考体験】

一切皆苦 - 宗教ではなく思想としての仏教は「苦」を減らすための思想
人間は喜びよりも苦痛に対する方が敏感(プロスペクト理論)
・ 苦しみを取り除くことを重視したのが仏教
・一切皆苦は現状認識を正しく行い一切の物の中に苦の可能性が存在することを認めること

仏教の思想①因果・縁起

因果・縁起は「原因と結果の法則」

・四聖諦ー 苦・集・滅・道
・苦の原因から結果に至る道筋をどのようにカットするか
万物は因果関係でしか成り立ち得ない 
・「釈迦は経典の中で、あなたが望む結果とあなたの行為には果たして対応関係があるか」を問うている
 (一心不乱に合格を祈っても、努力しなければ合格しない)
・望む結果を得るためにはそれに対応する行動をしなさい
何らかの事象として「原因」が出現し、それに働きかける何らかの作用「縁」が加わって認識可能な「結果」が出現する
・ 因果生起を明らかにできれば、苦を発言させないためにどの要素をカットすればいいか見えてくる
・あなたが死ぬまでの時間軸で見て、行動や思考の結果として自分に苦痛が発生することは悪、逆に、行動や思考の結果として喜びや安楽がもたらされるのであれば善
仏教は他律的であることを否定する哲学なので自分ごととしてあなたが判断すべきであると考える

仏教の思想② 空 

形而上と形而下、ニーチェの神は死んだ=唯一の神様とか絶対的な真理があるわけではない(ツァラトゥストラ)

「空」と「無」は似て非なるもの
・あらゆる可能性が肯定されるゆえに否定するものがなくなった状態を「空」という
何もない「無」なのではなく、どんなものにでもなりうる可能性を備えたのが「空」 
・ 「空」とは物事に絶対性がないこと、固定的に考えてはいけないことを表した概念
・目の前のものは、因果・縁起という作用によって現出した1つの「見え方」であって、それを因果・縁起を調整すれば全く別のものになりそこに絶対性はない
「空」はポジティブに生きるためのライフハック!?
・ 可能性の海「空」から 因果関係によって形而下に何を出現させるかに因る。その時、因果関係は完璧ではないにせよ、ある程度は自分でコントロールできると考える
「空」は形而下に対する形而上と考えて差し支えない
・形而下と形而上は分けて考える必要はあるが、両者は個別に存在しているのではなく、互いに矛盾しつつそれでいて一致している 

仏教の思想②-1 唯識


物自体と現象(カントの純粋理性批判)

・全ての物事は自分の認識によってのみ 成り立っている
・ 「世界は「私」の認識があって初めて成り立つ」が唯識の基本的な考え方
認識力を持った存在の数だけ世界は存在する
唯識は、「認識されていないものは可能性としてしか存在しない」という論理とも言えて、これは「量子力学」とよく似ている(二重スリット実験、シュレディンガーの猫)
・観測(認識)されないうちは「空」、つまり可能性としてのみ存在し観測された瞬間に意味を持ち存在が確定するのが、量子力学でもあり、唯識の論理でもある
八識説:五識(眼・耳・鼻・舌・身)、意識、 未那識(七識)、阿頼耶識(八識)
・よくも悪くも物事が連作的に起こりやすくなるのは認識のサイクルが心の方向づけを強化するため
意識的に今までと違う行動をとるようにすると、これまでにはない性質の種が芽吹き、心の方向性を変えることができる(環境を変える、新しいことをする)
認識とは自分のあり方そのもので、自分の体験に意味を与えるのは自分自身
理想的な「何か」に現時点でまだ理想的ではない自分自身を結びつける(無意識のレベルに働きかける)
・大乗仏教はみんなの仏教で時代や環境にフィットさせることができる(真言宗、天台宗、浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、 日蓮宗)

仏教の思想②-2 諸行無常

・良いことも悪いことも永遠には続かない
・ あらゆるものは相対的で因果・縁起によって移り変わっていく
・ どんな1点どんな一瞬さえもそれを固定し絶対化することは不可能

仏教の思想③ 利他と自利 - 自己犠牲=利他ではない

・「利他」の認識は自分の中にしかなく、利他を考えるには、起点を「私」(の認識)にしなければならない 
日本で美徳とされがちな自己犠牲や滅私奉公の精神は本来の仏教的な意味での利他ではない。なぜなら、自分が犠牲になったら自分とイコールでつながる他者も犠牲になるから。私と他者は全て繋がっている。 
・私も他社もネットワークの一部で大きな構造体を構成する結節点の一つ
自分と他者を切り離した考え方は究極的には争いを生む 

 

【現代社会の事象を仏教の視点から読み解く】

・全ての仏教の教えは「苦しみを発生させないように」という考え方が根本にある
・現代の資本主義社会は定量的に観測できるもの、つまり、数値化できるものだけで社会が設計されている
・長期的、全体的な利益を重視することがポスト資本主義的な社会
あらゆるものは何かに認識されることによってのみ存在する
輪廻転生は無限繰り返しのゲーム理論 (ミクロ経済学戦略的アプローチ)で説明できる。無限に繰り返すものだと仮定して場合、一人勝ちではなく、かといって 自己犠牲の精神でもなく、自分と他者の利益を等しく考えて協力し妥協点を見つけた方が戦略として有利と科学的にも証明されている
全ての物事は相対性の中で存在するので「ある条件下ではこれが善と認識されるけども、別の条件下では、それは悪に変わりうる」
・"完全なるメタ認知"を獲得し時間や空間の認知、スケールを自由自在にコントロールできるようになることが悟り
・ 仏教では、我々が生きる現実世界を今より一段階メタな世界から見て、この世界で物理的な身体を持って存在すること自体が アバターのようなものではないかと考える 
個人がそれぞれの最適解だけを見るのではなく全体や未来のことも見据え ネットワークを作りながら社会活動を営む重要性が増えてきている
自立分散的な世界では大きな構造体に頼ることができないので一人一人のプレイヤーが賢くなくてはならない
・ 自分と同じかそれ以上の道連れを見つけたなら、その人と共に行きなさい
ある仕事をブルシットジョブだと認識しているのはあなたの心
・ 汚れもないのに1時間以上かけて床を磨き続けるのは、自分の心をどこか違う領域に飛ばし、目の前の作業に集中するというモードに入ってしまうというような行動を通じて閾値を超える必要がある(そうでなくと発狂)
・他者からの意見や批判は真摯に受け止めるべきですがあなたの価値を決めるのはあなた自身なので、強く生きることで承認欲求などの呪縛から開放される
自分は他者の存在があってこそ 成り立つので私の利益と他者の利益は一致します。つまり 他者の利益を考えることが自分自身の利益を考えることにもつながります(抜苦与楽)

おまけ:西洋と仏教(東洋の哲学)

西洋哲学:唯一絶対の価値を認めるため、西洋で「自然科学」が大きく発展した(哲学での「私とは何か」に対しての「世界とは何か」が自然科学へ)
大乗仏教はみんなの仏教、絶対的ではなくて相対的に物事をフレーミングする

悟るとは、何も視点が「無い」のではなく、様々な「視点」「観点」を無限に持ちバイアスに縛られない状態とも言える?

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