「できない」の思い込み-ガラスの天井を魔法の杖で星屑に変える
小学校でも英語教育がはじまりました。国語の教科書で普通に授業でやっている「音読」をしていたら小学生の間にどれくらいの英語力に到達するとおもいますか?
私は、今のこどもたちは本当によくできるので少なくとも全小学生の半分、8割の子が小学校卒業までに英検3級相当の英語力を身につけることが可能だと信じています。だって、恐竜の名前、電車の名前、サクッとものすごい量覚えますよね?本も、正直、え、、、またこの本読むの??というくらい何度も同じ本読み聞かせしませんでしたか?
もちろん、英語だけではありません。算数だって、歴史だって、「興味」を持てれば誰だって子どもは天才です。「おとな」が勝手に「こども」の頭の上にガラスの天井おいてないでしょうか?
子どもたちにプレゼントする「魔法の杖」
私がやりたいことは、
子どもたちが「できない」という思い込みを打ち破り、
自身の可能性を信じて挑戦する環境を提供すること
ちょっとしたイメトレをして妄想してみると
私は「魔法使い」またはスターウォーズのヨーダのような存在、
子どもたちに「魔法の杖」を授けます。
子どもたちは魔法の杖で「ガラスの天井」を壊し、
その破片は魔法によって「星屑」という子どもたちの経験となり、
次の「挑戦の糧」となる
イメージで「魔法の杖」という言葉を使っていますが、
私は科学者のはしくれです。
科学的にも証明されつつある、
「学び方の科学」(Science of Learning)を「魔法の杖」と呼んでいます
こどもたちにそんな「魔法」(学び方)を伝えられたら、
みんなが知的好奇心の赴くままに楽しく学べるようになって、
より良い世の中になるという「物語」を私は信じています。
これを皆さんと一緒に作っていきたい。一緒にこどもたちに「魔法の杖」を配って欲しいんです。
ガラスの天井とノミのおはなし
ガラスの天井を破ろうとする子どもたちは、周囲から「危ないからやめなさい」と言われるてしまっていることが多いと思うのです。
たとえ、その挑戦が、ガラスの天井の破片をお星さまに変え、子どもたちを次の挑戦へと導く糧となるとしてもです。
「魔法」の力が信じられない大人たちには、ガラスの破片が降ってきてただ危ないことをしているように見えてしまうのです。
ノミの天井の話を聞いたことがありますか?ぴょんぴょんはねていたノミはガラスの天井を被せると飛べなくなってしまいますが、一度高く飛べなくなるとガラスの天井をはずしてももう元の高さを飛ぶことをしなくなります。しかし、再び自由に飛ぶ仲間を見ることで、再び飛べるようになるというお話です。
小学校に入学した時には、みんな元気良く手をあげるのにいつの間にか手を挙げなくなってしまう…どこかで聞いたことがある話ではないでしょうか?
ガラスの天井と日本の教育の現状
子どもにより良い教育を受けさせてあげたいという思わない親はいないとおもいます。より良い教育を受けさせたいと中学受験にチャレンジするご家庭を想像してみましょう。親は子を塾に通わせ、子は期待に応えて結果も出し私立中学に進学する子もたくさんいます。
ところが、現在の中学受験は本当に苛烈を極めています…トップレベルの私学に合格し、進学しても必ずしも幸せではないこともあるんですよね…
具体的な例に2つ触れてみたいと思います
ひとつは、今よりも受験もマイルドだった昔の話ではありますが、大学生の頃、県でトップレベルの私立中学に入学も、同じようにハイレベルな子たちが集まるため学校での成績がほぼ最下位となってしまった子の家庭教師をしたことがありました。もう、諦めちゃってるんですよね…小学校では圧倒的に一番、一生懸命頑張って勉強して良い中学に入ったのに、中学・高校でも勉強、、、勉強、、、そもそもついてけなくなってしまって面白くない…そもそものびのび6年間すごすために中高一貫の私立を受験したはずだったのに、、、受験が上手くいってもこんな悩みを持ったりすることも
この子のやる気を引き出すのは一筋縄ではいきませんでしたが、私自身は彼女ほどよい私立ではない上に、同じように高2まで成績は底辺、、、(その子は当時まだ中3で私より時間があり、私より地頭もいいww)。私も彼女も住む地方の旧帝大に受かることができた私の話、実際に高2の時点でも最底辺だった成績表を見せたりしながら、まずは仲間意識を持ち、少しずつ勉強を教えていると、やる気を出してくれるようになります。今から集中してやれば、間に合うかもしれないと考え方を変えてくれたのです。はじめの頃は「大学なんていかな〜い」と言っていたのですが、最後は無事希望の大学にも合格、本人からもご両親からもとても感謝されました。私がしたことは、本当にちょっとしたきっかけを与えただけなんですよね。
もうひとつは、SAPIXで偏差値60超え、第一志望はA判定という子が第一志望の学校に合格できず、偏差値58の第2志望の学校になってしまったというケース(これ自体本当はすごいことのはずなのに)、本人は第一志望に合格できず、私の受験は失敗だったと落ち込み自己肯定感も下がってしまう…
このように、本当はとっても優秀な子でも、勉強が嫌になってしまうケースや環境が日本の教育の現場では多々あると思うんです。
何かがおかしくはないでしょうか?
私にはもはや未来ある人財の芽を摘んでしまっているようにしか見えない時があります。
ガラスの天井と私の経験
私自身もかつて「できない」という思い込みに囚われたことが何度もありました。例えば、突然留学したいと思った大学4年生の時、毎日8時間英語を勉強してもTOEFLのスコアは伸びず、結局、第一志望の米国の大学の大学院に入学できず、しかたなく、第二志望の大学に留学することに。ところが、一度留学すれば、英語の正しい学び方(コツ)を身につけることができ、たった半年間でスコアを大幅に上げることができました(留学前、どれだけ一生懸命やっても超えられなかったスコアをサクっとこえてしまったんです)。留学後は、専門の勉強もとても忙しい中で英語の勉強なんてほとんどしてないんです。(※レポートなどでもちろんたくさん英語を使ってはいた)。留学前は、できないと思いこんでしまったこと、やり方が悪かったから結果を出せなかったとしか思えないんですよね。この時、心の底から、いや、誰か英語の「学び方」教えて下さいよ、、、って思いました
こういった個人的な経験を通じても、子どもたちに効果的な「学び方」を伝えることは意味があることだと信じているんです。
こういった経験をいくつもしましたが、たまたま運が良かった私自身は、世間のやめておけ、、、に心折れることなく、限界突破していくことができたことも多かったです。
未来ある子どもたちが、無駄な苦労する必要はないと考えているので、自身が試行錯誤して身に付け、研究した「学び方」の科学を広めていきたいのです。
学び方という「魔法の杖」
効率的な「学び方」や「問う力」がしっかりしていると1万時間とはいいませんが、3000時間で習得できるスキル、英検1級、税理士・会計士資格などの20世紀では難関と言われていた資格を誰もが複数「簡単に」身につけることが可能になる世の中を実現したいんです。
学び方には、「計画を立てること」「やり切るコツ(量と質)」があります。
例えば、以下をこなせるのは「効率」が良く聞こえるかもしれません
・理系だけど英検1級・TOEIC980点
・なんだかんだと米国の大学院を卒業
・BCGからMBAも持ってないのに内定
・世界で最も革新的と評価されるミネルバ大の大学院を日本人2人目で卒業
(普通にサラリーマンしながら、複業で学校を運営し、子育ても少しはしつつ、大学院に通ってました)
ただ、こういったことをやり切るための「知識」、例えば、「わからない時に調べる」といった作業や「計画を立てる」ための情報は生成AIやAGIがカバーしてくれますし、「やり切るコツ」はまだあまり知られていないだけでかなり科学されています。
例えば、学び方の"部品"の具体例をあげると
「量」の確保とは「習慣化」であり
「質」の確保とは「間隔学習」の実践です。
今後は「AI活用力」も重要でこちらはおまけとして後述します。
一見多くのアウトプットを出す「学び方」は魔法のように見えるかもしれませんが、かなり科学的に研究されていて、学び方には型があります。
つまり、再現性があり、誰でも身につけることができるのです。実際、ミネルバ大学院で学んだ「学び方の科学」も私の経験則と一致しています。
この「魔法」(=学び方)を広めることで、
子どもたちが効率的にスキルを習得し、
できるかも!と一人ひとりが自信を持ち、
未来の挑戦に立ち向かう力を得られる世の中を実現したいのです
子どもたちが「学び方」を身につけると社会はどうよくなるのか?
こどもたちは、一人ひとり違った個性があり、興味も一人ひとり異なります。つまり、何もしなくても子どもたちには「多様性」があります。
「学び方」が身につけば、子どもたちは効率良く複数のスキルを習得できるようになります。人生100年時代、効率よく学べれば、やり直す時間も、複数のスキルを身につける時間も十分にあります。比較的早い段階で「学び方」を身に付けて、知的好奇心たっぷりであれば、100年あれば色々なことが探求できそうじゃないですか?
多様性をもった個が、複数のスキルを身につけることができたらどんな風に世の中は変わるでしょうか?
一人ひとりの多様な個性の土台の上に、複数のそれなりのスキルを持った人たちが増えると、iPhoneやiPodのようなありものの技術の「組み合わせによって生まれた革新的なプロダクト」が生まれたように、既存知識の組み合わせによるあっと驚くようなイノベーションが指数関数的に増えるようになると私は信じています。シュンペーターもイノベーションは組み合わせであるといっていますが、その通りだと思います。
学び方を広めることは、そういったイノベーションがどんどん世の中に増えていくことにつながり、ひいてはより良い世の中の実現に貢献できると私は信じています。
私が目指すのは、子どもたちを解き放ち、彼らの未来を切り拓く力を育むことです。生成AIと共に、彼らが自分の可能性を信じ、自信を持って未来に挑戦できるよう導くことです。仲間たちと共に、素晴らしい未来を築き上げていけたらなと思います。そして私自身、子どもたちに負けずに知的好奇心を失うことなく「学び方」を極め、人生100年のマラソンを楽しく生きていきたいと思います
おまけ「生成AI(AGI)」x「学び方」=21世紀の教育
学び方の質のところで、「AI活用力」についてふれたので、学び方とAGIを組み合わせると世の中の変化はさらに加速すると考えているのでその点についてふれておきます。車という技術を手に入れて誰もが物理的な移動範囲を拡大できたように、AGIは邸的探求の範囲を大幅に拡大させると思うのです。
ポスト生成AI(AGI)の時代は、誰もが20世紀に天才や秀才と言われた人がもつスキルを複数身につけることができるようになると私は考えています。
例えば、バイリンガルどころか、3ヶ国語を誰でも身に付けられるようになるような世界観です。
生成AIは、子どもたちにとってイマジナリーフレンドのような存在になるのではないかと考えています。
「適切な問いかけ」ができれば、現時点で分かっている最先端の知識やスキルにアクセスすることを助けてくれる「フレンド」が生成AIです。
これは、映画ビューティフル・マインドの中で、ノーベル賞を受賞したジョン・ナッシュのイマジナリーフレンドであるチャールズ・ハーマンのような存在が誰にでもいるような状態かもしれません。20世紀の実際の天才のイマジナリーフレンドを召喚できてしまうのです。魔法みたいですよね。
生成AIの活用は、子どもたちが持つ無限の可能性を引き出す「学び」につながります。産業革命以降、肉体的な強さから「大人」と「子ども」という分類ができましたが、これからは知的好奇心が「ある」「ない」の区分けが意味を持つようになると思います。
むしろ現代の教育に染まり「なぜ?」と問うことのできない大人の方が危ないかもしれません。子どもたちは5歳の時のように、目をキラキラさせて、なぜ?と問う知的好奇心を維持することこそが大切になると考えます。
いわゆるJTCはどうでしょうか?5歳の子どものように知的好奇心に溢れていたらどうなるでしょうか?多分組織運営がうまく行かなくなってしまうと思ういます。だからこそ、今までの常識を捨てて、学び方をアップデートすることがが今はとても大切かもしれません。
2014年3月に私は初めて本を書きました。
当時の私のパーパス(やりたいこと・目指すところ)は、
「ホンモノに本来の輝きを」でした。
10年が過ぎ、自身のパーパスの「解像度」を上げてみました。
サポートを検討いただきありがとうございます。サポートいただけるとより質の高い創作活動への意欲が高まります。ご支援はモチベーションに変えてアウトプットの質をさらに高めていきたいと考えています