見出し画像

神に召されたフジコ・ヘミング

譜面通りに弾くのがピアノではない。
と言ったのは音楽の神ではない。
フジコ・ヘミング、その人だ。

ピアノは機能的なものではなく、全人的なものだ。
とも音を伝える人は言った。

ここに正しき人がいる。

正しき人の主張はいつでも単純で簡単である。

音楽の神など存在しない。
理想など語らず、現実的に音楽に向き合うべきだ。

ある詩人も似たようなことを言った。
文字の世界に言霊など存在しない。
すぐれた詩人はレトリックの技巧に長けたものだ。
詩人は言葉の選び方を磨くべきだ。

音を伝える人は無国籍だった。
その人は戦後の混乱だから仕方ないとあっさり言ってのけたが、
それを勝手ながら許せない人もいた。
許せない人は一人や二人ではない。
国盾をもつ者の仲間意識は強く、国盾を持たないその人を侮辱し蔑んだ。

ピアノをただ上手く弾こうとする人たちに音の天使は近づけないという。
音の天使は、音に真摯に向き合う孤独な人を探して飛び回るのだ。

厳しいピアノの世界から、音を伝える人を励ましたのはショパンだった。
その人は片耳を失った。
片耳を失った彼女は音楽の神に見放されたのだと。

言葉は時に残酷だ。

片耳にはなったが、ショパンが半分になったわけではなかった。
音を伝える人は音の天使の耳を借りることした。

音はいつも優しい。

音を伝えるその人は、ショパン以上にショパンでありたいと願った。
そして、モーツァルト以上にモーツァルトでありたいと願った。
そしてさらに、その人は誰よりも音楽の神を信じて疑わなかった。

ピアノを弾きたくないとその人が言った。

もう一つの耳もなくし、見えるものが見えなくなる。
それでも黒鍵を頼りに鍵盤の地図を指でなぞる。
自らの音が自らの耳に入ることのない行き場を失ったピアノの音。

「どこまでも優しき人よ。あなたの音はいつも私のところに届いていたぞ。」

そして、音楽の神は言う。「今日はショパンもモーツァルトも一緒だ。」

「フジコよ。私の音楽を私以上のものにしてくれてありがとう。」

と言ったのはショパンだった。





サポートありがとうございます!