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日本の仏教がお葬式と深い関わりがあるわけを探ってみる その1

はじめに

 さて、先日コロナ対策による「マスク着用」が自己判断となって、まもなく扱いもインフルエンザ並の扱いになるということですが、この3年間にもわたった「コロナ禍」は、あたしたちの社会生活に大きな変化をもたらしました。
 しかしながら「コロナ」というフィルターを通すことで、様々なものが見えてきたようにも思います。
 
TVコマーシャルをみていると、社会的なニーズがなんとなくミニマムになっているような気がするんですね。
リモートワークもさることながら、特に最近多くなったと感じるのは「家族葬」のCMです。

 そういえば、最近死亡広告がずいぶん減ったと同時に、新聞の「おくやみ」欄では「葬儀終了」という文字が目立ってきたような気がいたします。
有名人の訃報も後から伝えられることが多くなり、
「近親者で済ませた」という事例が増えました。

 一昔前なら、「不作法」といわれたものですが、
「コロナ」を理由にすることで
至極まっとうな対応であるという事になりました。

 さて、コロナ禍がある程度収まったら、また以前に戻るかと言えば、あたしはおそらく戻らないと思います。
 なぜなら、このフィルターは、あたしたちが感じていた不合理を結構取り去ってしまったのかもしれないからです。

コロナ禍以前では、死亡広告がだいだいと新聞に載り、
それに気づいたお節介ものがわざわざ連絡網を回してきたものでした。

 あたしとしては、不作法が減り、香典の支出が減ったのと、遺族としては大々的な葬儀を簡素化できて、コスト的にも助かったのかもしれません。

 しかしながら、お寺さんや葬儀屋さんは結構痛い状況なのは想像に値します。
 とはいえ、こういった変化に応じて「新しい何か」を作り出していくのは、決して悪いことではないと思います。

 常々、こういった「式典サービス」に関わる事については、あたしたちは結構無頓着です。
 ですから、すべてを「お任せコース」にしている事が多いのは、はっきり言ってこれらの「意義」を知らないからです。

 さて、この研究は、結構お寺さんや葬儀屋さんにとっては、「やめてくれ~」的なものですが、喧嘩を売るつもりはありません。
 ただ、意義をちゃんと知っておくことが大事だし、それを知った上でお願いすることだと思うのです。

 何もわからず「右習え」とか「なんか不安」という理由だけで、無批判に受け入れる心があったのなら、「怪しい宗教」に絡め取られる種があると思います。

 今回、あたしのアプローチは「経済」と「利害」の社会学的観点から攻めていこうと考えています。

 あら、「予告編」で終わっちゃった。
 こうご期待

continue


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