漂泊幾花 【ふじ色の旅立ちその7 ~かわいそうなマリア】
浦上教授は、なおも語り始めた。
「とにかく、ひどい状態だと言うので、急遽僕たちも救援部隊に回されて長崎に向かったのだ。八月の一四日だった。」
「終戦の前日ですね。」
「ああ、今から言えばそうなるだろう。だが、僕らは戦争のまっただ中にいたことは確かだ。」
浦上教授はそこまで言うと遠くを見るような目つきで注がれたビールをあおった。
「・・・・・まさにHELLだった・・・。」
僕も一度長崎には訪れたことはあった。長崎はその時、南国の鮮やかな顔をしており、地獄とはほど遠い、そんな様相をしていたのだが・・。
「柴田君、長崎や広島に行ってみたら、一度道路工事の現場をのぞくがいいだろう。黒土の代わりに瓦礫があるんだ。」
浦上の言葉は僕をおどろかせるにあまりある言葉だった。
「街がなかったんだ。」
「想像もつきません・・・。」
「僕は浦上天主堂の跡に行かされ、そこで被爆して顔が焼けただれたマリア像を見たのだ。」
「・・・・・・。」
「マリアはじっと天に目を向け、悲しみと哀れみを持った目で夏の日差しを見ていた。まったくもって悲しい姿だった。僕はこの悲劇を生んだのが同じキリスト教信者の国アメリカ人だと言うことに不思議さを覚えたんだ。と、同時に言いようもない怒りがこみ上げてきた。」
「・・・・。」
「つまりは、神の上に平気で爆弾を落とすその神経にだよ。」
浦上先生は吐き捨てるように言った。僕は返す言葉もなく、ただ聞いているのみだった。黙々と料理の手を進めていた板前が手を止めて浦上の言葉に聞き入っていた。
「そこで、咲の母親に出会ったのだ。」
「え・・・・・。」
「彼女の名は伊集院江理子といった。」
僕は混乱した。浦上先生の妻の名ではないからである。
「その通りだ、咲は妻の娘ではない。」
「先生・・・それじゃ・・・・。」
「咲も妻もそれは承知のことだ。」
「先生がクリスチャンになった理由も、彼女にあったんですか?」
「いや、むしろ、その時彼女と同時に僕は全く同じ理由でクリスチャンになったのかも知れない。」
「その理由というのは・・・?」
浦上先生はそこで深くため息をつきつつ、呟いた。
「復讐だよ・・・・。」
意外な言葉だった。
「耕作君・・・。」
浦上の僕への呼び方が微妙に変わっていた。
「僕はね、清教徒の独善が許せなくなったんだ。
それがカトリック教徒の教会の上に原爆を落とす本質のように思えたんだ。」
「先生は、だからクリスチャンになったんですか?」
「耕作君・・・被爆して真っ黒になったマリアが可哀想じゃないか・・・。」
浦上はそこで論ともつかない話をした。だが、それは妙な説得力を持っていた。
「彼女が言った言葉だ。(可哀想に・・・真っ黒になって・・・。)ってな。可哀想だったんだ。本当に・・・。僕は確信した。宗教はそもそも不条理なものなのだ。同じ神を仰ぐであろう者の上に地獄をもたらすことは十字軍よりたちが悪いのだ。それを彼らが解っていたのかどうかだ。」
僕は、先生の言っていることがだんだん解ってきた。そして、先生の復讐の意味も含めてだんだん意味が分かってきた。
「だから、彼らに真の宗教を知らせたいとも思った。」
僕はだんだん重苦しくなる会話に何となくついていく気がしなくなっていた。浦上はさらに続けた。
「キリスト教には予定説というものがある。」
「は・・・・。」
「仏教の因果律とは全く正反対の代物なのだ。」
「運命とは、神が決めた予定が決定するというものなのだ。そこに人間の意志は入り込む余地はない。」
僕は、何となく理解の糸口が見えてきたような気がした。浦上先生は、実はキリスト教に強い恨みがあるのではないか。そんな気がしはじめていたのだ。
「被爆してもなお生き残っていた長崎のクリスチャンたちがなんと言ったと思う?」
浦上はそこでかみしめるように言った。
「私たちに神が与えた試練である。・・・・そう言った言葉に、僕は驚きと哀れみと言いようもない怒りがこみ上げてきたんだ。・・・伊集院江理子・・・たぶん彼女も同じ気持ちで聞いたに違いない。」
先生は、この世の不条理をすべて神の手によるものだという言葉が嫌いだとも言った。およそキリスト教信者の言うべからざる言葉であった。
「先生は、原爆が落とされたことは神の予定によるものだ・・・というわけですか?」
「彼らの論理ではそうなるだろうし、多分それが原爆投下の、強い精神的な論拠になっていることだけは確かだ。・・・・それでなけりゃあの現実は直視できまい・・・。」
「日本人が大量虐殺をうける運命は、神が決定した。そういう論理ですね。」
「そうかもしれない・・・・。」
「僕は許せないなあ・・・」
「そうだろう・・」
浦上は宙を見た。
「僕はキリスト教者に復讐する意味でクリスチャンになったのかも知れない。畑違いの君の学校で、宗教そのものを講じるのも、こういった理由によるものだ。僕はキリスト教そのものを伝導しようという意図はない。」
僕はそのあとの言葉が見つからなかった。
「ただひとつだけ」
浦上先生はつぶやいた。
「もう一つ、彼らの【神】が述べた言葉だ。それは『復讐するは我にあり』なのだ。すなわち、裁きを最期に下すのは人ではなく神なのだと。だったらそれを確かめようじゃないかと、僕は神学を志したのだ。」
僕は宙を見つめた・・。
https://music.youtube.com/watch?v=KR54fHpcxEQ&feature=share
「以下次回」
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