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漂泊幾花 外伝 ~般若理趣義解2~

Scene2  再び化野にて

 咲は、嵯峨野の実母(はは)の墓前にいた。鹿ヶ谷の実母の実家である伊集院家との一件もあり、本当はもう二度と来まいとは思っていたのだが、あえて意固地になる必要もないと足の向くままにやってきた。

(亡くなった人たちは一体どこに行ってしまうのかしら・・・。)

 ふとそんな素朴な疑問が湧いてきた。
「あたしのお母さんはここにいて、ここにはいない・・・・。そういう事なのかな。」
 咲は独り言をつぶやいた。そして、思い立った。
(原点復帰、化野に行ってみよう・・。)

  なぜ化野を思いついたのか、咲は自分なりにもう一つの課題を持っていたからだった。咲は、墓前に一時十字を切るとその場を離れ、化野念仏寺へと向かった。

・・・新しい命の芽生えの予感と、生まれ出ずる事のできなかった命とのせめぎ合い・・・。おそらくそれが実感できるのは、夥しい観音像より、夥しい地蔵像だと考えていたのだ。

(あたしはこのふたつの命を、どうしたらいいのか・・感じてみよう)
 
 咲には、考えねばならない命が二つあった。一つは「時限爆弾」のように、自らの命を奪う可能性をもつ病。そして、おそらくは自分の胎内に芽生えるかもしれない、耕作の命の記憶をもつ新しい命の可能性だった。そして、咲には一つの「迷い」があった。

(未知のこの命は、どんな結果であれ、あたしのただの「我欲」の結果なのだ。)

 「ふじ色の旅立ち」も、そしてその結果、そして、今後芽生えるかもしれない胎内の命も、結局は自分が招きだした我欲の結果であり、自分はそれに向かい合えるモノがいったい自分にあるんだろうか、という本当に素朴な迷いだった。

 そして、その「欲」さえも良いことなんだというあの老僧のメッセージはいったいどういう事なんだろうか。

 渡された「墨書」には、その答えがあるんじゃないのだろうかと咲は本当に考えていた。そうでなければ、この旅は終わらせられない・・。そういうなかば切羽詰まった気持ちにもなっていた。

(あのお坊さまは、何者なのだろう・・・。でも、明日は必ず訪ねることにしよう・・。)

 咲は、化野の念仏寺の一角にいつしかいた。前のように耕作はここには現れるはずはなかった。と言うよりも自分一人でここは結論を持ちたかった。誰にも邪魔されたくなかった。

 静かに小堂の縁側に腰掛け、おびただしい石仏に囲まれて静かに目をつぶった。

(あたしは、母の生い立ちに疑問を感じて、敢えて自分を汚したいと思った。
  汚すには最も根源的な欲情に身を任せること、そして、それに迷う相手に敢えて身を委ねる思いを体感すること・・。でも、それが本当にできたのだろうか・・。)

 咲はそんなことを思った。そして、そっと自分の腹に手を添えた。
(ここに命ができるきっかけは、そういった欲とはちがっていたんじゃないか。でも、その違いとは何なのか、よくわからない・・・。)

そこで、咲はふっと目を開けた。そして、小さく呟いた。

「そうか、わからないということがわかったんだ。」


Scene3 綾さんの店にて

 咲は河原町木屋町筋の「綾さんの店」の前にいた。自分が決めた期限はあと一日、今日のうちに「御前」に再会しなくてはならないと思っていた。そういえば・・・、と、咲は少し前にその「御前」との出会いを思い出していた・。

     *   *   *

『がらがらと木戸を開ける音がして、一人の僧形が店に入ってきた。年の頃はゆうに60は越えているような初老と言うより、老境に入りつつある僧であった。
「あら、御前はん・・おいでやす。」
「あぁ・・。おじゃまするで。」
高貴と言うより、破戒僧の雰囲気だった。御前と言うからには住職以上の職だろうが、中世の破戒僧、一休禅師のような雰囲気で、髭は伸び放題、まさに破衣無縫といったどこか独特の雰囲気を持った僧であった。
「般若湯・・・・。」
「へぇ、お待ちやす。」
綾さんは笑いながら僧に銚子を出した。』

  *   *   *

 考えれば、やっちゃいけないという基準はどこにあるんじゃ?という無言の問いかけに、今まで自分が自分を縛っていたしがらみとか、こだわりのような物から一瞬のうちに解き放たれたような気がしたのだった。

 つまり、「あるがままにあるゆえに、あるがままによし」という一言だった。咲は、これが自分の考えた物の「半分」だったと思っていた。

 でも、それは頭で考えたことに過ぎなかった。だから、実際に母の体験を追体験しようと思っていたのだった。そして、それがもう少しで心に落ちそうだったのだ。だからこそ、そのきっかけになった御前と呼ばれる老僧に会いたいと思ったのだった。

 咲は、その赤提灯がかかった店の木戸を開けた。あの時と同じく、綾さんという女将がそこにいた。

「あらぁ・・・」
綾さんは、意外だという顔をした。

「そうおした、御前様がまた会えたらええなぁと言うてた嬢はんや~、おひさしおす。」
そう言って、ケラケラと笑った。
「こんばんは。」
「あら、お一人様なん?彼は?」
「あ、別行動なんです。」
「ま~あ、彼氏、浮気せんとええね?」
「そうなったら、それまでのヤツですよ。」

綾さんはケラケラと大笑いした。

「確かに、御前様がお気に入りになるん、わかるわ。」
「あたし、御前様を訪ねてきたんです。あの方はどなたなんです?」

綾さんは、ニコニコ笑って話した。

「あの方に興味もつ人は、よほどの変人か、自分の命をどうしようか考えてる方が多いんやが、まぁ、駆け込み寺って言われてるお寺はんの御前様ですがな。」

 咲はくすりと笑って答えた。
「なぁんだ、それであたしが心に引っかかったんだなぁ・・。」
「は?」

 綾さんの方が慌てた。
「実はあたし、急性転化したらあっという間に死んじゃう病気持ってるんです。で、自分の命のありかを求めてちょっとさまよっちゃった・・。」
「・・・・・。」
「彼につきあってもらったっていうかな、本当は、前にお坊さまにお会いしたときにすごく吹っ切れたんですが、その旅の過程で、言われたことを頭でなくって、実際に感じられたって言うお礼が言いたいのと、もう一つ命に関わる迷いができちゃったんで、またお話ししたいな~って。」

「連絡しよか?」
「いいえ、ちょっといてお会いできなかったら、明日の朝にでもお伺いしたいので、お姉さんにお坊さまのお寺を教えていただこうと思ったんです。」
 
 綾さんは、ふうっと息をつくと
「嬢はん、御名前は?」
「浦上咲といいます。」
「咲ちゃん、ええ名前や。」
「うふ、ありがとうございます。」
「なぁ、咲ちゃん」

 綾さんは、少しかしこまった顔で咲に話しかけた。
「ここで話すより、やっぱ御前様が酔っ払う前のほうがええやろ?」
「あはは、どっちでも良いです。今日はここに来られるんでしょう?」
「うん、そう思うけどな、今日はこのあと、妹がらみでなんや、ややこしい話もここであるみたいやけ、御前様とゆっくり話すんなら、お寺の方がええ思うさけ、うち、連絡するわ。」
「え?良いんですか?」
「かまへん!たまに般若湯ぬきもええんよ。」

 綾さんは笑いながら電話をかけた。
「御前様、待ってるって。六波羅のこの寺や、ハイヤー呼ぶさかい、ええか?」
「え?ハイヤー?」
「うちの奢りや、っていうか、御前様にこっそりつけとくさかい大丈夫や。」
「あははは」

以下 次回に続く


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