ドラッカーの「予言」と言えば大袈裟でしょうが・・。
ピーター・ドラッカー
「取り締まりによってのみ社会を維持しようとする体制は、やがてその社会の崩壊を劇的に招来するしかない。同じように、戦争の抑制のみによって平和を維持しようとする体制は、あらゆる地域紛争を世界的な大火災の引き金とし、大戦勃発の可能性を高めるだけである。」
(経済人の終わり: P・E・ドラッカー 上田惇生・訳)
この文章は、経営者なら一度は読むという、P・Sドラッカーが29歳の時に著したものです。
1939年の著作ですから、ヨーロッパではヒトラーやムソリーニが台頭。そして、ソ連ではスターリンが力を付けてきた「独裁者」の時代にさしかかった頃です。
つまり、産業革命からはじまった、経済による「資本主義」が世界恐慌の痛手から、人々に「真の平和や平等社会」を担保するものではないと社会が気付いた時代なんですな。
世の中が「独裁者」による明確な方針の提示と、「単純かつ乱暴きわまりない」施策が支持されていく。そんな世の中であるとこの著作には描かれています・・。
しかし、これ、どっかで聞いてるって言うか、見てるような気もするんですな。
なんでしょうか、今、だんだん世の中が窮屈になってるような気がしませんか? あたしは数年前からホントにそんな気になってるんですなぁ・・。社会全体がね、そう、お互いに監視し合ってるような感じがするし、「単純明快」な政策やリーダーが求められているような気がしましてな。何となくこの時代を述べているドラッカーの「心情」がわかるわけなんですよ。ましてや、SNSの普及は、これに拍車をかけているような気がしてなりません。
さて、この20世紀初頭という時代は、各国でなんて言うのでしょう。けっこう信じられない法律や制度がまかり通ってるんです。たとえば1917年にはアメリカではいわゆる「禁酒法」が出てますなぁ・・・。酒類を作ったり売ったりしちゃイカンという法律です。
また、ナチスドイツは、国民健康増進と称して、公共施設や学校敷地内での喫煙を禁止したり、大がかりな禁煙キャンペーンを図ってますな。・・・なんだかどっかで見られる光景じゃないですか・・・。
たしかに、「良いこと」でしょうが・・・。物事ってすべてが「良いこと」でできてるんでしょうかね?と言う素朴な疑問が出るのです。今回、ある市長が、「1ヶ月間、マチで酒を呑んじゃいかん!」と麾下の公務員および教職員にお達ししたわけです。
まぁ、理由は飲酒による不祥事が連続したって事なんでしょうけれど、なんでしょう、学校の「生徒指導部(FBI)」の「禁止令」に似てるような気もします。あまりにも短絡的ではないかと思うんですな。
こういうのを「過剰反応」と言うんですが、ご存じのとおりこのコロナ禍で、自粛警察だのマスク警察だの、市民レベルで相互監視が始まっている始末ですから、こういうのは起こるべくして起こっているのかも知れません。
企業も「コンプライアンス」だの「説明責任」だの・・、なんでしょう、「監獄社会」にいるような気がしないでもないんです。
そんなに「キレイ」になって、一体、「人」という社会はどこに向かおうというんでしょうなぁ・・・
この記事の内容は、あたしのブログ過去記事に加筆したものです
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