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漂泊幾花 第2章 古都の桜花

3   咲の出生の事実

  嵯峨野を出て、嵐電の駅に着く頃には、日はすっかり陰っていた。
咲は長崎に行くようなことを言っていた。

 僕は咲に逢ったら「ふじ色の旅」につきあう覚悟を決めていたから、
長崎には同行するつもりだった。
だが、今日は夜行の寝台にでも乗らない限り、長崎に行くのは無理だった。

「咲、今日はどうする?長崎に向かうか?」
「ううん、今日は無理だよ、先輩。」
「昨夜はどこに泊まったの?」
「北山のユースホステルよ。」
「ふうん。・・・なら、今日は純の部屋を使おうか?」

村野純のアパートは空き家のはずだった。
僕は今晩はそこを使おうかと思っていたのだ。

「絶対にイヤ!。」

 咲はにらみつけるように言った。
「あたし、あの人嫌いだもの、イヤだそんなとこ。」

 咲はものすごい剣幕で言った。僕は苦笑した。
純もそこまで嫌われたら仕方ないなとも思った。

「おいおい、やつは一応僕の友達だぞ。それに、三途の川の鬼にも、あんなに同情してたのに?」
「それとこれとは別。とにかくイヤなものはイヤ!。」
「はははは・・。」

 結局、僕たちは嵐山で宿を取ることにした。
それは、今晩、僕と一緒に夜を過ごしたいという
咲の強い希望があったからだった。

瀟洒な和風の宿であった。
咲は風呂から上がると浴衣姿で僕の前に現れた。

「新婚旅行みたいね。」

咲は笑った。その夜は、ごく自然に僕たちは一緒に溶けあった。
ごく自然にだった。

「もっとあなたの命がほしい・・・・耕作。」

 咲は僕に抱きすくめられながら、そうつぶやいた。
咲の僕に対する呼び方がすでに変わっていた。
これは、咲の求愛行動なのだ。僕はそう割り切っていた。
そうなれば、もはや気どることない。そう開き直ることにしていた。

「・・・耕作・・。」
「なに?」
「あたし・・・、あたし・・・。」

 いつにない反応だった。裸でいる咲がこういう姿を見せたのは意外だった。咲は僕にしがみつくと嗚咽し始めた。

僕は困惑したが、咲をそっと抱きしめるしかすべはなかった。
咲は僕の胸の中で泣き続けていた。
涙がすーっと僕の胸にしたたり落ちた。
やわらかく、そして、暖かい涙だった。

「あなたが好き・・・、愛してるわ。・・でも、今日ほど自分の運命が呪わしいこと、感じたことはなかった。」
「・・・・・・。」
「それと、あなたの言葉、聞かなければ良かった・・・。でも、聞いて良かった気もする。」
「・・・・・・・。」
「あたしのバカさ加減に辟易した・・。」
「なんで、バカなんだ・・?」
「あなたを頼りすぎていたわ。あたしばっかり一人で落ち込んだり、投げやりになったり。この旅だってそうよ。あなた自身の事なんて何にも考えなくって、好き勝手にやったこと。・・・あなたや父、母に甘えすぎてたかも知れない・・・なにが「ふじ色の旅立ち」なんだろう・・・ばかげてた。」

「・・・咲・・。」

「しかも、まさか、あなたの友達の下宿とは思わなかった。ということは、耕作に抱かれかったというのが本音。そこではいやだったの。で、あんな方便使っちゃったのよ。ホントに愚かで馬鹿。・・こんなあたしでも・・・・好き?」
「・・・愛してる。というか、僕は地獄の鬼にも心を寄せられる、咲の心の深さや気高さに心から愛しいと感じたんだ。僕なんか君の恋人でいいんだろうかと、うれしくて、ものすごく咲がいとおしい。ありがとう、咲。だから、旅、咲の思いが叶うまで完遂しようよ、僕はつきそう。」

そこで、咲は僕の手を信じられないくらいの力で握りしめた。

「・・・うれしいわ、・・・・耕作。今はその言葉、信じていい?」
「ああ。」
「・・・あのね、耕作。・・あたしは・・。」
「え?」
「・・ううん、何でもない。」

 咲はそれきり黙ってしまった。僕はほのかに香る咲の移り香と、しなやかな体の柔らかさと温もりとを感じていた。そんな静かな時がやや続いていた。咲は、僕の腕の中に抱かれながら人差し指で僕の素肌に文字を書くように触れ続けていた。

 翌日、僕たちは銀閣寺から疎水べりを東山に向かって歩いていた。
桜がちょうど満開だった。空の色も、その桜にはえて抜けるような青さを見せていた。咲はさっきから妙に明るかった。
昨日、化野で見せていたアンニュイな表情とは
うって変わった雰囲気だった。

「ねぇねぇ先輩、知ってる?」
咲はさっきから僕の腕をつかみながら盛んに話しかけてきた。
「ここの道、名前が付いているんですって。」
「ふうん・・。」

 何の変哲もない小川沿いの道だった。
「哲学の道。っていうのよ。」
「よく知ってるなぁ、でも、なんでここが哲学の道なんだ?。」
「あたしもよく知らないわ。」

 咲はまたわらった。考えてみれば名前などどうでも良いことだった。
道は道だし、わざわざ「哲学の道」でなくとも、
どんな道ですら各々の「哲学の道」になりうるからだ。

  哲学の道だからといって、皆それぞれがここまでわざわざやってきて、
思索に耽らなくてはならないということではないはずだからだ。
少なくとも今はこの道は、咲との一時を過ごす道であることだけは
確かだから。

「ね?何考えてる?」
 咲はのぞき込むようにして僕に尋ねた。

「同じ事じゃないかな、咲と・・。」
「うふふ、じゃあ当ててみて。」
「あたったら何くれる?」
「あはは、子供みたいね。・・・・じゃあ、キスしてあげる。」
「おいおい・・まだ昼間だぞ。」
「あたったらの話よ・・ふふふ。」
「哲学の道だから哲学しなきゃならないのかなぁって 、そんなバカなことを考えていた。」

 咲は、はじけたようにころころとわらった。
「・・・あ、た、りぃ・・。すごいね、先輩。」
「あれ、あたったか?」
「うん、だけど、ちょっと違うところもある。」

 咲は、また少し物憂げな表情に戻った。
「あたしが生まれたのは、この辺なの。」
「・・・そうか・・。」
「その話を聞かされたのは、あたしが中学二年の時だった。」

 僕は、前に浦上教授から聞かされた咲の出生の話や、伊集院江里子の話を思い出していた。
「初めて聞いたときは、どう思った?」
「・・・ショックだった・・。」

 咲はそう言うと、深い瞳をうつむかせた。涙をこらえているような感じもしていた。
「ショックはショックだったけど・・・、あたしは本当の母の顔も知らなかったし、立ち直りは早かったわ。血は繋がっていなくったって、母は母でしょ?。」
「俺にはピンとこないけど・・、その通りなんだろうなぁ。」

 咲はそこで、あっと言うちょっとしたとまどいを見せて僕を見つめた。
「そうか、ゴメンね、先輩はご両親いなかったんだ。」

「ははは・・・。気にしなくて良いよ。」

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 僕にとっては、結局、祖父や祖母も、言ってみれば、咲の今の母親に当たるのだ。こだわる気持ちはあるが、実際はそんなに深刻ぶることでもないかったような気がしていた。 ただ、咲と違うところは、実の親の記憶を僕が持っていると言うことだけだった。
 僕たちは、無言のまま、「哲学の道」を歩いていた。咲は、時折、何か決心したようなそぶりで僕の腕を強くつかむ仕草を見せた。この少女の心の中で、何か大きな葛藤が揺れ動いている。そんな感じだった。

「・・・咲?。」
「うん・・・、決心した。」
「え・・・?。」

 咲はもう一度僕の腕を強く掴みながら、いつもの凛とした表情で、ほほえんだ。

「先輩、もう一カ所つきあってもらえる?。」
「・・・え?、どこに・・?」
「おじいさまの所・・・。」


【続く】

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