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浦上咲を・・かたわらに  Σ(sigma)

Episode18 新たな旅路 

 津軽海峡は不思議な海だった。一日として同じ色合いを見せることはなかった。一年三六五日、三五六色の色合いを見せる。海の表情は毎日その姿を変えるのだ。今は鬼籍に入った父がよく言っていた言葉だった。戦後、軍艦を降りた父は、海上保安庁に勤め、この津軽の海を毎日見つめる日々の中で母と出会ったと言う。僕はその場所に咲を連れ立ってその場所に行った。

「・・・わぁ・・・、綺麗・・・。」
 咲は、大人びた髪を柔らかく風に任せながら、柔らかな陽光に包まれた海峡をずっと見ていた。まもなく消えゆく連絡船が最後の煌めきのようにその姿を行き来させていた。

「・・こうさくって・・、ずるいな・・。」
「・・え?なんでだよ・・。」

咲は僕の顔を見てくすくす笑いながら言った。

「こんな綺麗な景色見ながら、ずっと育ってきたんでしょ?」
「・・それは、仕方ないだろう・・。」
「でも、ズルイ・・。」
「むちゃくちゃ言うな・・。」
「あははは、そうだね。・・・だけど、これからあたしの風景にもなるのかもね・・。」
「どうして・・?」
「だって、あなたの風景はあたしのものにもなるから・・・。」
「・・そうか・・、そうなるな・・。」
「なによぉ、人ごとみたいに・・。」

 咲はむくれた顔をした。僕はいつしかそんな顔の咲を見るのがたまらなく好きになっていた。だから時々咲にわざと意地の悪い仕打ちをして、咲のその顔を導き出すのは僕の悪い癖かも知れなかった。
 丁度、ガキ大将が好きな子にわざと意地悪をしたり、泣かせたりするのを不器用な愛情表現にしているような気がしていた。

「こうさくって・・、絶対、イタズラ小僧がそのまま大人になったって感じよね。ほんとに意地悪なところがあるんだから。」
「・・うーん、それはここにいるからかもなぁ。」

 実際僕はそう感じていた。故郷の風景は、僕の心を確実に少年に戻していたのかも知れない。

「こうさくのばーか。」

咲は僕の腕をつねった。僕は心地よい痛みを感じたあと、咲の身体を僕の方に向けさせた。

「・・痛いよ・・ごめん・・。怒った?」
「・・いや・・。」
 僕は咲を見つめた。咲はそのまま目をつぶった。僕はそのまま咲を抱き寄せ、その柔らかな唇に僕の口を合わせた。遠くで連絡船の汽笛が聞こえた。

 僕は咲を連れ立って、大門の繁華街に出かけた。咲は、祖母に気兼ねしていたが、僕が半ば強引に連れ出した。

「・・こうさく、なんか、あたし不良に見られるのイヤだな・・。」
「ばぁさんはおなかの子を気にしてるんだよ。咲の事は悪いとかいいとか思ってないよ。」
「あ・・それも気になる発言だ・・。」
「・・え?」
「だって、そのいい方じゃあたしなんてどうでもいいって感じじゃない。」
「・・あ・・、言葉足らずだ。咲が不良とかそう言う事じゃないって事だよ。」
「あはは、解ってるよーだ。」

僕は昼間の仕返しをしっかり咲にされていた。

 大門は「松風町」という立派な町の名前があったが、誰もその名前を呼ばずその一帯を「大門」と呼んでいた。昭和の初め、吉原に似せた遊郭があった一帯で、その入口に大きな門があったので「大門」と言うのだが、函館でもこの一帯が最も栄え、飲食店が軒を連ねていた。出会いを求めるかのような若者があふれていた。季節は丁度夏休みに入り、僕と同じように都会に出ていった若者が一斉に帰省している時期だった。

「・・あ、すいません!」

 長髪に下駄履きの青年が僕にぶつかってそう謝った。何か急いでるようだった。その青年は、急いで僕たちが入ろうと思っていた店に消えていった。

「・・なんか・・見たことある人だったなぁ・・。」

咲がくすくす笑いながらそう言った。

「・・え?どこで?」
「・・うーん、学校でだったかも知れない。」
「まぁ、ウチの大学は結構マンモスだから、いるかも知れないな・・。」
「そうだね。だけど、こうさくに似てたなぁ・・。」
「僕はあんなに薄汚くはないよ。」
「へへへ・・・どうだか・・。」
咲はいたずらっぽく僕を見つめた。

 店にはいると、広いフロアーの中でほぼ満員の人いきれが僕たちを襲った。

「・・落ち着かなかったか?」
「ううん、こういう雑多な雰囲気って好きよ。」
「それは良かった・・。」
 
  店内はほとんどが若者で一杯だった。ただ、若者達はこの夏だけの徒花と言うような感じがしていた。かつての僕がそうであったように、この街の大半の若者は夏が過ぎれば都会(まち)に戻っていくのだった。それがこの街のいわば運命だった。僕たちは申し訳程度に造られたカウンターに座った。ひどく落ち着かない席だったが、それはそれでいいと思っていた。

 ユーロビートのディスコ曲が向こうのバンドから流れてきた。とても会話どころではなかった。僕はもう出ようかと咲に言いかけたが、咲はそのリズムに乗って調子をとりながら、若者達の踊りに目を向けていた。

「ねぇ、ねぇ・・こうさく・・。」
「・・・え?」

 咲はいたずらっぽく斜め向かいのボックス席に目をやった。

「あの人・・、どっかで見たことある人。うちの考古学の先生だ・・あ、たぶんメンバーは考古研の学生たちだわ。」
「・・ウチの?」
「うん、だって、奥にいるヒゲはやした人、ウチの先生だったよ。考古学概論の・・・。」
「・・・ああ・・・そういえば・・・。」

 僕も見覚えがあった。僕の専攻していた現代史とは少し違う世界のような感じの一群だった。そう言えば、春先になると、彼らは駒澤公園でよく車座になって「考古学エレジー」などという歌を良く歌っていた。さっきの若者もその中にいたが、僕の知っている考古学のコンパの感じではなかった。どうも、合コンらしい雰囲気だった。

「・・咲・・、ありゃ、合コンだな。」
「うん、あたしもそう思ってた。お相手はなんか、幼稚園の先生っぽいな。」
「考古学の連中がねぇ・・。後輩たちの時代も進化したのかな」

 考古学の専攻の学生達は一年の大半を発掘で暮らしていて、大学にはあまり顔を見せることはなかった。僕は体育会ににも似たその雰囲気の彼らに、割と親近感を持っていた。ただ、目の前の彼らは世代が下だったせいか、僕の知っているものはまったくいなかった。

 思い出せば、彼らと渋谷あたりで合流しても、全く女っ気がないのが共通点だった。しかし、向こうのボックス席の半数はうら若い女性が占めていた。
「・・緊張してる・・。かわいいね。」

咲はくすくす笑った。咲のまなざしは、OBのそれに近くなっていた。
バンドの曲はチークダンスのバラードに変わっていた。咲はいきなり『あたしの中のシンシア』の顔になって僕に笑いかけた。

「こうさくぅ・・。踊る?」
「・・・バカめ・・・。」

 僕はそういったが、咲は勝手に僕の手を取ってフロアーに出て僕に抱きついた。考古学合コンの連中はそれにつられ、何組かフロアーに出始めた。咲は僕の背中に手を回しながらくすくす笑いながら言った。

「シャイな人たちだもの、誰かおどらないと、チャンス作れないんだよ・・。」
「ごもっとも・・・。」

 僕は考古学の連中を情けなく思いながらも、後輩達のいとおしいようなそんな感じに心が支配されていた。
 カウンターに戻ったとき、咲は本当にイタズラ小僧のような顔をして、僕に耳打ちした。

「・・・ほら、あの髪の長い女の人がいるでしょ?あの人、絶対さっきの下駄青年に気があるわ。」
「え?何で?さっき踊ってもいないし、ずっとえらそうな人と話してるし・・。」
「バカね、ほとんど上の空で聞いてるわ。さっきからずっと下駄青年ばかり見てる・・。」 
「へぇ・・・。」
「見てて・・、絶対アクションするわよ、彼女。」
「何で解るんだ?」
「なんか、あたしに似てるから・・・。」
「・・・。」
「それに、下駄青年、こうさくにそっくりだし・・・。あはは、めちゃくちゃ行動が読める。」

 咲は予言者のようにそう言った。

「ね、ね、次にチーク入ったら、彼女絶対誘うよ、下駄青年を。」
「何で?」
「あたしならそうするから・・・。そしてね、いきなりキスしちゃう。で、下駄君はメロメロ。それがあたしのシナリオよ。」
「そんな風に行くかよ・・・。」

 僕は笑い飛ばした。しかし咲はくすくす笑いながら自分の予感が当たることばかり期待しているようだった。
 
バンドの曲は再びチークダンス用の曲に変わった。

「・・・あ・・、誘った。」

 咲の予言通り、長い髪の女が下駄青年を誘い、チークに入った。腕を回すなり彼女がいきなり下駄青年の唇を奪った。彼は回した手に力をこめるのが目に見えて解った。

「・・ね、・・・ね?見た?見た?」

咲は妙にはしゃいだ。

「青年は、あの彼女ときっと結婚するわ。」
「・・え?何で?」
「こうさくに似てるからよ・・・。」

 青年は、チークが終わったあと、熱に浮かされたようにずっと長い髪の女と話し込んでいた。えらそうにしていたヒゲの先生の視線も全く省みず、何か約束しているような雰囲気だった。

「・・・僕は、あんなにみっともなかったか?」
「うん、すごく。」
「そんなに断定されると何かイヤだな。」
「一途で純情・・・。そんな感じがするから。」
「・・・・・。」
「だから、解るの・・。みっともなくはないよ、少なくてもあたしにとっては、かっこいい。」

 咲は僕にそのまま口づけをした。カウンターの真向かいにはマスターがいた。マスターは丸い目をして溜息をついた。


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