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”教室のえんがわ”開催レポート 「性教育」         2021/7/11


オンラインコミュニティ
『教室のえんがわ』の目的

教育は、誰かの犠牲の上にあってはいけない。
大人都合の教育は子供を犠牲にし
子供中心の教育は、
大人が犠牲になる可能性をもっています。


目指したいのは、
「大人も子どもも幸せに生きる教育」


また教育は
その単体で成立しているものではなく
社会に関わるすべての人で取り組むべき
協働作業だから


孤立・断絶しがちな教育者(大人)たちをつなぎ
「大人も子どもも幸せに生きる教育」を
協働的に探求できる場として
『教室のえんがわ』を開きました。


『教室のえんがわ』H P
https://kyoushitsu-engawa.com/



<今回の開催>

2021年7月11日 10:00-11:30
テーマ:「性教育」
教材:『赤ちゃんはどこからくるの?』

『おうち性教育はじめます』

『オランダの性教育』



<なぜ、性教育?>

前回の「お金」に引き続き、
誰の人生にも深く関わってくるもの。


にもかかわらず、
学校での教育が十分ではないもの。


「日本の性教育は遅れている」
と言われて久しいけれど


今回は、

「そもそも性教育ってなんだ?」

っていう話につながっていった。



<増え続けるカテゴリー>

「LGBTQ」という言葉が広がった。

L  レズビアン
G ゲイ
B バイセクシャル
T  トランスジェンダー
Q     Questioning(揺れ動いている状態の人)


しかし、セクシャルマイノリティの人たちを
この5つだけで網羅することは難しい。


実は、カテゴリーは増え続けている。

ありすぎて書ききれない。


だから、あらゆるセクシャルマイノリティへの
配慮を示すために、

「LGBTQ+」という言葉が生まれた。


カテゴリーがあると
人は安心できるのだと思う。



<僕は僕、私は私>

ただ、どれだけカテゴリーが増えようと
そこに完全に一致する人など
いるのだろうか。



例えば
「女性」というカテゴリーに
入っているとしても


その理由が
「体の機能」と
「好きになる対象が男性」
というのであれば



いつか歳をとって
子どもが産めない体になったなら



「女性」ではなくなるのだろうか。



アメリカで
男性が出産をした。

正確には
体が女性として生まれた
男性が子どもを産んだ。


もはや、
子ども産むということは
女性にしかできないという
概念も通用しなくなってきた。


何を持って
その人の性別を決めるのか。


そもそも決める必要があるのか。


僕は僕。

私は私。


それが
性教育の土台ではないだろうか。



<体の違いだけでは足りない>

よくある性教育は

男女の体の違い

成長による体の変化

子どもが生まれるまでの過程


そんなことを
小学校の保健体育では教える。
しかも、男女を別々にして。


それはただの知識に過ぎず

体の違いだけで
性別が決めようとする教育は
とても短絡的。


男女別の制服や名簿も
おかしな話だと思う。



<オープンにする>

性教育の進んでいるオランダでは、
中学生でも
ピルを服用することができる。


しかも自分で病院に行き
もらうことができる。


ボーイフレンドと外泊をする際は
「ピルを忘れちゃダメよ」と
母親が娘に声を掛ける。


これが、
オープンであるということ。


早くから
性行為について教えると
性行為の低年齢化が進む
考えられてきた。


でも、実際は
性教育が遅れている日本の方が
低年齢化が進んでいる。


オランダでは幼い頃から
体の違いや、人を好きになる気持ち
性別の多様性、性行為の目的などを


年齢に応じて
少しずつ教えていく。



学校と家庭の両方で。


それにより
子どもたちは性というものが
「恥ずかしい」だけものではなくなる。


テーブルの上の議題にあげて
オープンに話し合えるものとして
捉えていくことができる。


日本では、子どもたちに
それをどう教えていくのか?



自分たちが受けてきた教育に
なかったことをするのだから
教員たちが頭を悩ませるのは
仕方のないこと。



<性別への依存>


「女性だから」と
軽んじられたことがある。


「女性だから」と
得をしたこともある。


男尊女卑にも
レディファーストにも
違和感を覚えるようになったけど


女性という性別を
都合の良い道具
してはいないだろうか。


女はこうあるべきだ
という「女性像」
自分の首を占めてはいないか。


男性には男らしさを求めて
「男性像」を利用してはいないだろうか。


性別という括りに
疑問を抱きながらも


性別への依存
拭いきれないことを感じる。



<広すぎる性教育>

性教育は、
人権教育そのものだと言われている。


本当にその通りだと思った。


性教育は決して、
体の違いや性行為のこと
命の誕生だけの話ではない。


どれだけ
カテゴリーが増えようと

その人自身が持っている性は
オンリーワンであり

本来はそこに分類など
必要ないはず。


”結婚は、男と女でする”
”男は女を、女は男を好きになる”


これまでの常識が
着実に変わりはじめている。


長い歴史がつくってきた
男性脳と女性脳


それすらも
これからの環境が変えていく。


男女の境目がなくなり
グラデーションのような性
増えていく。


男であること
女であること



そんなことが
どうでもよくなる時代
近いかもしれない。







































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