教育大学の現状を少しだけ学びました。
noteを書いているおかげで
いろんな人から
会いたいです
話したいです
というメッセージがくるようになった。
それはとてもうれしいことだけど
今の自分に
いろんな人の
いろんな話を
受け止め切れる自信がなかったから
近しい人以外は
お断りをしてた。
でもそろそろ
そういうこともしてみようかなって
思ってた矢先、
とある教育大学の職員
Mさんから連絡をもらい、
私のリハビリに付き合ってください(笑)
という感じでzoomをした。
<知らなかった現実>
私は、通信制の大学で
教員免許を取っているから
The・教育大学
みたいなところの実情を
あまり知らなかった。
私が今後展開できたらと思っていた教員研修も
現役の先生たちを対象にするイメージだったから
”大学生”ってあんまり考えたことなかった。
イエナプランの講座をやってた頃
いつも数名の大学生が
参加してくれてた。
純粋でまっすぐで、
心の感度が高い。
だからこそ、画一的な教育に
早くから疑問がもてる。
そんな印象だった。
この子たちの世代が、
きっと教育を変えてくれるんだろうなって
おばちゃんなりに、淡い期待を抱いてた。
でもMさんの話を聞いたら
私の知らなかった現実が
見えてきた。
<志望動機>
印象的だったのが
大学生たちの
教員になる志望動機
4歳の頃から、周りの大人に
「あなたは教師になるのよ」と
言われていたから。
まぢか?
って思った。
教員だけを目指して中学、高校を経て
脇目もふらずに、教育大学にまっしぐら。
きっとその子は努力をしてきただろうし、
周りの大人も、その子の幸せを願ってたはず。
でもなんでだろね。
すごく残念な気持ちになるのは。
違うパターンの志望動機もあった。
自分は大人相手だと上手にできない。
でも子ども相手ならできるって思ったから。
んー?
って感じ。
言葉の中に
大人と子どもの優劣がはっきりある。
子どもならコントロールできるって思いを持ってると
そうならなかった時に
子どもの恐怖心や不安感を利用して
コントロールするしかなくなる。
でも、子どもってそういうものでしょって
感覚をもっているんだろうな。
あと、覚えているのは
子どもに善悪を教えてあげるのが
教師の仕事だから。
裁判官っぽいね。
子どもは、
正しい道に導いてあげないといけないから。
正しい道があるなら、私も知りたいです。
もう何から突っ込んでいいか
わからないけれど、
どちらにしろ
幸先を不安にさせる志望動機だと思った。
そして、教育大学は
一定の割合で学生を教員するというミッションを掲げているから
教師に向いていないと感じる学生がいても
他の業種を勧めることは難しいという。
一方通行の、一本道。
戻ることも、曲がることもできない。
なんてこったい。
もちろん、そうではない子もいるけれど
こういう子が多いというのが現状らしい。
<マジョリティという錯覚>
私、最近、
自分の世界がマジョリティだと思ってた。
自由度の高い教育現場にいて。
それを求める保護者や子どもたちに囲まれて。
子どもの声を聴くのが基本。
意思を尊重するのが当たり前。
対等であることがスタートライン。
それが“普通”になってた。
周りには、自由に働く友達がいる。
一人の人が、いろんな仕事をしていて
やりたいことはどんどんやる。
今の私の周り、360度
自由で柔軟な人だらけ。
だから、
これが世間の常識みたいな感覚になってた。
どうやら、”まだ”錯覚でした。