教育は、無料であるべきか?

前回のnoteに書いた
【ひでこや】がやりたかった
ホームスクールサポートの事業。


もしこれをするなら、
私は無料でやりたいと思う。


その理由は、2つある。


<教育を受ける権利>

無料でやりたい理由の1つは、
全ての子が教育を受ける権利
もっているから。


国が教育を提供している公立学校という場所を
選べない・選ばない子たちが、
今、どんどん増えている。


公立学校を選ばないからといって
教育を受ける権利が侵害されてはいけない。



そして、その権利はすべての子に平等であり
家庭環境によって、左右されてもいけない。



そのために、無料であることは必要だと思った。



<対等性を保つため>

もう1つの理由は、
私の中での対等性を保つため


公立から私立の教員になった時
初めて保護者の人から
“お金をもらっている”という感覚になった。



そう感じた時、

私の中で、少しだけ
教育がサービスになった。



私が学んできたイエナプランは

子どもと保護者と教師が
対等性がある中で
学校共同体をつくっていく
もの。



「お金払ってますから」なんて態度を見せる
保護者はいなかったけど

私はやっぱり気になった。



お金の対価として

提供する義務
常に感じてた



それが
子供たちに対して

何かを”やらせないといけない”

という気持ちを生んだ。



「やらなくていいんだよ」

「休んでいいだよ」

そう子どもに言いきってあげられることが
私にとっての対等性だと気づいた。




オランダで
多様な教育が普及した理由の一つに

全ての学校が無料だったこともあると思う。



多様な教育があっても
それを選べなければ、
”本当の意味での選択肢”
にはならない。




だからもし私が”学校”という場所をつくるなら

“無料”がいいなって思う。



<お金を払うべきなのは、国>

私が働いた学校はすべて
学習指導要領に則った一条校だったから
違う場合もあると思う。



そして
教育という事業には

本当にお金がかかる。




資本主義経済の中では
誰にとってもお金は必要であり



何かを生み出したり
提供したりしたものへの対価として
お金を得ることは
当然のこと。



誰かの犠牲の上に
成り立つ教育は
持続可能だと思わない。



私立の小学校だってたくさんある。
求める教育を子どもに受けさせるために

お金を惜しまない親御さんもいる。



フリースクールなど
有料であっても
その場所があることで
救われている子どもたちはたくさんいる。



でもやっぱり
教育にお金を払うべきなのは
「国」
それは忘れたくない。


“学校”という名前のつくところ、
“学校”という名前がつかなくても
子どもたちに教育の機会を提供している人や団体に
国はもっとお金を支払うべき。



それが叶うならどんなに良いだろうって思うけど


そんなことを待っている間にも
子どもたちは

大切な子ども時代を減らしていく。



となると、私は、やっぱり
それ以外で稼げる人間にならないと
いけないなって思う。


できるといいな。


<日本の教育費>

ちなみに、2020年のOECD調査による
公財政支出に対する教育費の比率はこんな感じ。


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OECD平均の4.9%に対して、日本は4.0%



人を育てるのに
国がお金を使わないのなら
そのしわ寄せは
家庭にいく。




高校、大学の無償化が進んでいるけれど

子ども一人育てるのに2000万円
あながち間違いじゃないこの数字。

変えたい。
変えよう。







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