LifeStory Ⅴ イエナプラン教育との出会い
大学を卒業して
息子が小6のときに
教師になった。
でも一度でいいから
息子に「おかえり」と言ってあげられる
暮らしがしたかったから
最初の2年間は
非常勤講師
を選んだ。
<違和感の2年間>
ドキドキしながら
足を踏み入れた学校は
不思議な場所だった
売り上げがない
ノルマもない
社長もいない
独特の学校文化に
馴染もうと頑張った
でもいつまでも
慣れることがなく
少しずつ疲れがたまった。
学校にいるときは
全身に力が入る
私の考える「生きる力」が
学校が求める「生きる力」ではない気がした
“何かがおかしい”という
違和感だけが大きくなった
<苦しい3年目>
担任をもつようになってからは
違和感が、“苦しさ”に変わった
子ども置き去りの授業
目的を忘れた手段
同調圧力
大人都合の規則
画一的で、狭い世界
教師と保護者の壁
社会と断絶された学習
”違和感の正体”を
言葉にすることが
できるようになってた
でも一番苦しかったのは
そういう事象ではなく
自分の行動だった
受けてきた教育の再生産しかできず
“おかしい教育”に自分も加担し
何も変えることができない。
教師という役割を演じることで
個人がなくなり、
大事なものを見失うほど、
何かに追われた毎日。
教師という鎧の重さを知った。
<途上国の教育>
そんな苦しさから逃れるように
海外に目を向け始めた時、
アジアやアフリカの学校を訪れた
貧困の問題はあるにしても
子どもたちが本来持っているはずの
“力強さ”を感じた。
物質的な豊かさが
“人が人らしく育つ”ことを
邪魔している気がした。
<オルタナティブ教育>
国内にあるフリースクールなどにも興味をもち、
オルタナティブ教育(※)を知った。
※オルタナティブ教育とは…
1900年代前半。日本が大正時代のころ。
世界中で、画一的な教育のアンチテーゼとしてさまざまな教育法が生まれた。一般的に、それらの教育法を総称して、オルタナティブ教育と呼ぶ。例えば、以下の3つ。
【サドベリー教育】
アメリカ生まれ。
オルタナティブ教育の中で最も子どもの自主性を尊重する教育。
集団で行動することを強要されず、一定のルールの範囲内で、個人が自由に活動することができる。
生徒と教員が対等で、民主的な運営がされるため、デモクラティックスクールと呼ばれることもある。
【モンテッソーリー教育】
イタリア生まれ。
脳科学や心理学の知見から、開発された教具・教材が特徴。
開発者であるマリア・モンテッソーリーは大正時代に何度も来日したため、当時から注目を集めていた。
第二次世界大戦で下火になるが、戦後、日本では幼児教育をメインに発展した。
【ダルトン教育】
アメリカ生まれ。
学校の社会化を意図とし、教師と子どもの間で学習における“契約”を交わすことで、子どもに責任と自立を学ばせるというもの。
日本では、私立の初等教育や塾などで取り入れられているのをよく目にする。
手法は様々だが、共通していることは、
「子どもは”空っぽのバケツ”ではなく”自ら芽を出す種”である」と捉える点である。
こういう教育を知れば知るほど、
自分のいる教育現場が
苦しくなった。
<イエナプランに出会う>
3年目を終えた時、退職を考えた。
でもどうせ辞めるなら
やりたいことをやってから辞めようと
持ちこたえた。
そして、4年目の春。
「ひでちゃん、イエナプランって知ってる?」
友達が、何気なく私に聞いた。
【イエナプラン】という初めて聞いた言葉を
私はその場でググった。
【イエナプラン教育】
ドイツで生まれ、オランダで発展。
自分で計画を立て学習を進めることで「自立」を学び、他者との違いを生かしながら、協働的に活動をすることで「共生」を学ぶ教育法。
学級は、3学年混合の学級編成を採用しており、対話をベースに教育活動が進んでいく。
オランダは、子どもの幸福度が高いことで注目を集めており、イエナプランは、一部のメディアから、”日本の3周先をいく教育”と呼ばれていた。
よく覚えてないけど、
まさに一目惚れだったと思う。
毎日のように情報を集め、
数日後、オランダ視察を申し込んだ。
2ヶ月後の2015年夏。
初めてイエナプランスクールを見た。
子どもたちは落ち着いた様子で
何を言われなくても、自分で動く
教師の顔色を伺ったり
周りの目を気にしたりせず
自分の思いを言葉にする
号令もチャイムもない
飲食やトイレも自由
人が過ごす場所として
ごく自然な場所
秩序のある自由
圧倒的な違いから
”日本の3周先をいく教育”
の意味を体感で理解した。
でも日本とオランダの子どもに違いはなく
環境が人をつくっているだけ。
そう考えると、無力感を覚えた。
国の文化も含め、違いすぎる環境は
絶望感にもなった
でも最後に訪問した学校の校長先生が
こんな話をしてくれた。
教育を変えたいのなら、自分の”できること”を超えてください。
”できること”だけをする時間はもう終わりました。
教育はもう、待ったなしのところまできています。
大丈夫。社会や人々の準備はもう整っています。
あとは、私たちがやるだけです。
この言葉は、私の背中をものすごく強く押した。
<超えた先にあったもの>
帰国してからすぐに取り組んだのは、2つ。
1つは、イエナプラン教育を普及するための講座やワークショップ。
教育は社会と密接に繋がっている。
教育を変えるには、社会の意識を変えることも
必要だと思ったから。
まだそこまでイエナプランに詳しくない時から
主催をしたり、講師として呼ばれれば日本中、どこへでも行ったりした。
もう一つは、学級での実践。
教室の机の配置や
授業の進め方を大きく変えた。
出来ないと決めつけていたのは自分で、
やろうと思えば、案外できた。
イエナプランを取り入れた学級経営を
2年間続けた。
最初は1年生。
まっさらな子どもたちは
「自ら学ぶ」ことを喜んだ。
次は、5年生。
受動的な学びが習慣になった子どもたちに
「自ら学ぶ」ことは苦しさにもなった。
試行錯誤の連続。
やればやるほど、課題は現れる。
一つ一つ解消していき
残る課題は
私自身だと気づいた。
育児と一緒で、教育も
手法やスキルではなく
結局は自分の在り方
自由にさせたいと思いながら、
子どもたちの活動に予測がつかないと
不安になった。
その不安が
”みんなと同じことをさせたい”
という欲求を生む。
”できること”を超えた先には
自分の破れない殻があった。
<教育を変えたい>
それと同時に、教育現場にも嫌気が指していた。
通知表を受け取った日。
「僕は何にもできない」って呟いて帰った子がいた。
みんなと同じことができなくて、
居場所を失った子がいた。
自分らしさを忘れていく子どもたちがいた。
どうして、こんなくだらないことで
子どもたちが傷付けられないといけないのかを
考え続けた。
そのうち、考えることが苦しくなって
自分を守るために、見ないふりもしてきた。
でも、それももう限界だった。
結局、
自分の殻を破りたい気持ちと
教育を変えたい気持ちが
大きくなり、
オランダで初めて日本人向けに行われた
「イエナプラン教育専門教員養成研修」
への参加を決めた。
私生活では、パートナーができ
ステップファミリーとして3人で暮らしていたけれど
教員を退職することや
高校生の息子がいて、3ヶ月、家を空けることに
不安がなかったわけじゃない。
でも決意が揺らぐことはなく
2017年9月、私は2度目のオランダに渡った。
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