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”教室のえんがわ”開催レポート 「教育の曖昧さ。許容範囲はいかほどか?」 2021/11/27

オンラインコミュニティ
『教室のえんがわ』の目的

教育は、誰かの犠牲の上にあってはいけない。
大人都合の教育は子供を犠牲にし
子供中心の教育は、
大人が犠牲になる可能性をもっています。


目指したいのは、
「大人も子どもも幸せに生きる教育また教育は
その単体で成立しているものではなく
社会に関わるすべての人で取り組むべきもの


協働作業だから孤立・断絶しがちな教育者(大人)たちをつなぎ
「大人も子どもも幸せに生きる教育」を


協働的に探求できる場として
『教室のえんがわ』を開きました。



<今回の開催>

2021年11月27日 9:30-11:30
テーマ:「教育の”曖昧さ”。許容範囲はいかほどか?」
教材:ひでこやnote



<なぜ、このテーマにしたのか>

教育の世界を離れてみて
社会にある当たり前が
学校の中にはないことに
気づくことが多い。


その一つが
”目標の達成を検証しているかどうか”

ということ。


具体例をあげるために
認知的スキルと非認知的スキルを
取り上げて記事を書いた。


教育目標には
抽象的な概念が多い。


例えば
「自立した子」


では、どのようになれば
「自立した」と言えるのか。


そこを抜かして
実践が繰り返される
教育現場が多いと思う。



人を育む現場に
曖昧さは不可欠。


だけれども
その曖昧さゆえの
デメリットも考えたいと思い、
このテーマにした。




<21世紀型スキルの落とし穴>

アメリカで考えられた21世紀型スキル。


それが日本に輸入された時
こんな図で表現された。



この図では、
主に認知的スキル(学力)が
円の中心にある。


学力が中心となり
その周りを
非認知的スキルが取り囲む。


これが大きな落とし穴となる。


円の中心に学力がある限り
教師は、
学力を測ることから逃れられない。


この図は
学力があって初めて
非認知的スキルが身につく

というメッセージになる。


これではこれまでの教育に
習得すべき要素を増やしただけ。


学習指導要領の学習内容だけでも
お腹いっぱいなのに
その上さらにとなると
そこまでは手に負えない。


この方法でいくと
いつまでたっても
非認知的スキルの測定まで
手が届かない。


この図や文言は古いものだけど
この図にしたプロセスに
良くない日本らしさがあると思う。




<なんか違う>

いよいよ開始された
中学校の新学習指導要領。


その中の
育成を目指す資質・能力の一つである 
「学びに向かう力」


それぞれの中学校で
「学びに向かう力」を
どう測定しているのか?
情報交換をした。


・宿題の問題から作られるテスト点数
・提出物の有無


参加者みんなで
「なんか違うね」

とコメント。


そもそも
「学びに向かう力ってなんぞや?」
っていうところがズレていると思う。


教育現場あるあるの
素晴らしい言葉だけど中身は空っぽ状態”


ただ幸い、その指標や観点を
校長先生が作っている学校がある。


それを今度
見せてもらえることになった。


楽しみだ。



<テーマとずれる>

いろんなことを話していると
テーマとずれていることを
思考している自分がいる。


それは参加者も同じだった。


でもそれでいいのだと思う。


結局は、
自分のいる場所
自分のしたいこと
自分のすべき役割

合わせながら


他者の話を聞けることは
良いことだなって思った。


チェックアウトは
もれなくみんな
テーマから外れていた(笑)



<元気になった>

個人的な感想になるけれど
今日は、自分にとって
とても有益な情報をもらえた。


今後のキャリアをどうしていくのか
このところずっと悩んでいたけど


とりあえず
思いを発信していれば
なんとかなるのかもしれないと
改めて思った。


元気になった。


えんがわは
小さな場所だけど
やっぱり私にとっては
大事な場所。



参加者の方々、
ありがとうございました。

サポートしてもらえたら、飛び跳ねるほど喜んで、もっと良い記事を書こうって頑張る子です。よろしくお願いします♪