カジュまる

さとり、今ここに在る、引き寄せの法則、エックハルトトール、エイブラハム、瞑想。

カジュまる

さとり、今ここに在る、引き寄せの法則、エックハルトトール、エイブラハム、瞑想。

最近の記事

「感謝しましょう」の大ウソ

引き寄せ界隈の本を読んでいると、必ずと言ってもいいほど「感謝しましょう」と書いてある。 私はこれがどうも気に食わない。 実にもっともらしいし、誰も反論しないことをいいことに、そしていかにもスピリチュアル的な「無難な」言葉であることをいいことに、手垢にまみれてヘドが出るほど使い古されている。 だが、私はここに大いに欺瞞を感じる。 また、安っぽく、思慮のない、下品さを感じるのだ。 これは、ひとつには私自身に原因があるかもしれないことを予め認めておこうと思う。 感謝する

    • スピリチュアルな語りはどうでもいい

      スピリチュアルな本や引き寄せ本を開くと、いろいろと語られている。 自分を愛する。 幸せな気持ちでいること。 「気分」が大切。 ありのままの自分を受け入れる。 物事のいい面にフォーカスする。 私は、これらのアドバイスは、くそくらえだと思っている。 実にもっともらしい。 それでいて「んで、具体的に何をすればいい?」という疑問には答えないからだ。 わかったような気にさせるだけで、「で?」という疑問の砂漠に取り残される。 どこかで聞いたようなそれらしい「ありがたい教え」はた

      • 瞑想とはエゴを物理的に「あやす」こと

        何か嫌なことを言われたりして腹が立って仕方がないときや、いつまでもそのことが頭から離れて仕方がないとき、いくら「自分は青空であって、それで荒れ狂う嵐のほうではない」と自分に言い聞かせたところで、腹が立つものは腹が立つし、それで気持ちが落ち着くということもない。 結局のところ、「自分は青空であって〜」云々というのも「思考」であって、いわば「理知的なキャラ」のエゴに過ぎないのである。 エゴでもって他の「怒り狂った」エゴをなだめようもしてもうまくいかないらしい。エゴとエゴのぶつ

        • 思考は「今」がわからない

          思考は「今」という瞬間を捉えることができない。 過去の出来事を回想するか、過去の経験を基にして未来を想像するか、どちらかしかできない。 いずれせよ、今という瞬間を捉えることはできないのだ。 思考とは、果てしない青空に浮かぶ「雲」のようなものと言える。 生まれては流れて、消えていく。 今という瞬間こそが「青空」である。言い換えれば、今という瞬間にこそ果てしない青空の広がりや絶対的な雄大さを感じるチャンスがある。この青空こそが「本当の自分」なのだ。 生まれては流されて

        「感謝しましょう」の大ウソ

          思考を捨てた日

          「思考を捨てる」ということを徹底してみようと思い立った。 これまで引き寄せの法則にハマって、あれこれ思考をこねくりまわしてきたが、あまりうまくいかなかった。 「いい気分になるように」思考をあれこれこねくり回すのが面倒くさくなってしまった。 それに「自分は思考ではない」という考え方が気に入った。 「ああしなければならない。こうしなければならない。でも私は◯◯だ。何年も××で、いつまでこんな人生が続くのか」 と思って憂うつな気持ちになるわけだが、この思考にしたってこれは

          思考を捨てた日