思考を捨てた日

「思考を捨てる」ということを徹底してみようと思い立った。

これまで引き寄せの法則にハマって、あれこれ思考をこねくりまわしてきたが、あまりうまくいかなかった。

「いい気分になるように」思考をあれこれこねくり回すのが面倒くさくなってしまった。

それに「自分は思考ではない」という考え方が気に入った。

「ああしなければならない。こうしなければならない。でも私は◯◯だ。何年も××で、いつまでこんな人生が続くのか」

と思って憂うつな気持ちになるわけだが、この思考にしたってこれは自分そのものではない。自分がたまたま抱いた思考のひとつに過ぎない。

この思考を抱かなくてはいけない理由はない。まず「自分」がいて、その「自分」がいろいろ選択できる思考のうちこの思考を選んでみたというに過ぎない。

その思考によってつまらない気持ちにさせられるなら、そんな思考は捨ててしまえばいい。どよみち思考は私ではないのだ。そこにこだわる必要はない。

この思考が人生をつまらなくさせて、惨めな気持ちにさせるなら、容赦なくただ捨てればよかったのだ。頭にかぶっていた重くて心地のわるい不愉快なヘルメットを脱ぎ捨てるように、そんなくだらない思考を頭からごそっと取り外して燃えるゴミと一緒に捨ててしまえばいい。

そうすると、何も考え事をしない自分が残る。

なにも考えていない。空白。沈黙。

始めはなんだか落ち着かない。

「思考停止は愚か者のすること」という洗脳があるからだろう。何か考えていないと堕落するのではないかという恐怖があるのかもしれない。

今までは「思考こそが自分」と信じ込んで疑いもしなかったから無理もない。

生まれつきメイクをしていた人間が、いきなりすっぴんになって街を歩こうとすれば、それは恐ろしいことだろう。

たとえ美しい素顔が人工のメイクに下に秘められていたとしても、何かよくないことをしているような錯覚をするだろう。

でも私は思い立ったのだ。

思考をかなぐり捨ててみようと。

何が起こるか、ひとつ見てやろうと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?