ぼくは何者として死んでいくだろうか

ぼくは何者

娘が何歳の時だったかは忘れたけど
”一人称”ってどうやって教えるんだ?
って悩んだことがある。
生まれてこのかたずーっと下の名前で呼ばれているのに、自分自身の事を
「私」
って言えるのかな、と。
”彩ちゃん”と”私”って何が違うん、なんて質問されたらどう回答すればいいんだ…なんて頭抱えたけど、完全に無駄に終わって今に至る。
悩み自体は無駄に終わったけど、結局彼女はどうやってそれを認識したのかは分からない。
当然、私自身も幼心にどうやって一人称を理解したかは分かってはいない。

その一人称を考えてた時、「私」は世の中で色んな立場・状態・肩書を持ってる事に気付く。
・医療システムSE(当時)
・サラリーマン
・大学中退者
・父親
・息子
・バツイチ
・福岡県民
・男
・人間
・生物
…etc


更に、何か悩んだ時に毎回言う言葉にも気づく。
「だって死なないじゃん♪」
恐らく、この言葉で多くの人を呆れさせてきただろう。
そりゃそうよ、死ぬわけないじゃん、と。
今考えるべき問題は生きるか死ぬかじゃないでしょ、と。
そう、仕事での悩みであれば「サラリーマン」として悩まねばならないんだよ。
先ほどの子供への悩みは「父親」として悩んでたんだ。
その時々の悩みは、その時々の肩書として悩んでるんだ。
更にこの肩書には優先順位が付いてる事も気付いた。
トーヤとしては
生物>人間>男>父親>サラリーマン
かな?
これが分かってさえいれば、どうしようもなく悩んだ時、肩書をひとつ上に変えたら良いんだって思った。
"サラリーマン"で、仕事で、凄く困った。
どれだけ考えても答えがでなかった。
もうどうしようもない…ならば、"父親"として正しいのは何なのかと考えたらいいんじゃないか、と。
それでも答えが出ないなら"男"としてどうなのか、それでも駄目なら…と考えたら良かろう、と。

貴女は何者?

自分なりではあるけれど、悩み方が分かったので、どうしようもなくなるほど悩む事は殆どなかった。
けど、他の人は沢山沢山悩む訳だ。
なんでそんなに簡単な事が…なんて思うのは客観的に見えてるからであって本人はどうしようもない。
ある女性が私に悩みを渡しに打ち明けてきた。
子どもの事で悩んでる、と。
それは苦しいでしょう。
楽になるアドバイスを教えてあげます。
「肩書をひとつあげたらいいんだよ♪」
と、もう解決したねと鼻高々に言った。
でも、全然解決しないどころか全く納得がしてなかった。

また、別の既婚女性が
凄く好きな人が出来たんだけど子供が居るから自由になれない
と相談してきた。
この場面でも前の女性と同じアドバイスをした。
瀬戸内寂聴も旦那も子供もかなぐりすてて愛に走ったんだ。
君も母親ではなく女性として生きていくこと選べばいい。
さぁ今度こそは理解してくれるだろう…と思うも前回同様腑に落ちてない様子。
あれ、おかしいぞ…だってさ、君たちの優先順位はこうだろ。
生物>人間>女性>母親>サラリーマン
いやいや、何言ってるの!!!
こうよ!!!

母親>あと一緒

えぇぇぇーーーーーーー!!!!(マスオの声で)
全ての女性がそうではないと思う。
そうではないけども、
子供を産んだ瞬間に母親以外は全て吹き飛ぶ女性
が居る事を理解した瞬間だった。

ヒーロー

娘が1歳くらいの時、ミスターチルドレンの「HERO」って歌を知った。

全く寝やがらない赤ちゃんだった娘を抱っこしながら子守唄としてHEROを歌ってた。

例えば誰か一人の命と
引き換えに世界を救えるとして
ぼくは誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ

こないだ娘とカラオケ行った時にもこの歌を歌った。
歌った後に
「お父さんは余裕で名乗り出るけどね。
こんな命で世界を助けられるなんて死に甲斐があるよね。」
と娘に話した。
因みに、子守歌を歌ってた時も同じことを考えてた。
結局、私は「父親」の肩書を軽んじてるんだろうと思う。

あ、そう言えば私が小学3年生の時に
「人生は修行。だからちゃんとしてないと死ねない。」
と父親に言ったらしい。
真偽のほどは定かではないが、小学生の頃から死にたがりなんだろな、と(笑)

死に際

はっきり言って行き当たりばったりで、明日の事すら考えてない人生。
そんなだから、老後の事なんて全く考えてない。
老後の事は考えてないくせに、死んだ時の事は考えてる♪
と言うか、死んだ時の事を考える事こそ生きてる理由じゃないかとすら思う。

まず、葬式はパーティにして欲しい♪
すっげぇどんちゃん騒ぎで私の悪口すっげぇ言って、場合によっては悪口過ぎて一回生き返るほどのがいいな。
んで、海に散骨するか…鳥のえさになっても良いと思う。
あ、でも娘がそれは嫌がるかも。
と言うのも、保険証の裏にドナーになってもいいよって欄があるでしょ。
あれに全力でYESってしてたら娘が引いてた(笑)
こんな肉体なんて所詮入れ物なのになぁ…
んで、こんなメタボな肉体も鳥の餌くらいの役に立ったとして、更にもし私の「思考」が役立ちそうならAIとして「思考」を残してもいいかもな、と。
そういう意味なら、このnoteやFacebookもデータの一部として使えそうだ。

んで、死に方。
死に方はあんまりイメージが沸いてない。
とりあえず、焼死系は最後まで意識があるって聞いたのでこれは嫌。
死に方は大きく2パターンあると思ってて
①死ぬ覚悟が出来る死
②死ぬ覚悟が出来ない死
①は俗にいう急死。
これはこれで苦しむ時間が少ないから悪くはないと思ってる。
でも、出来れば②の覚悟が出来る死の方がいいかなぁ。
ま、これは考えたところでどうも出来ないからやっぱりどーでもいいや。

最後に死に際について。
実はここを一番大事にしてる。
というか、このために生きてる。
どういう死に際か、というと付き添ってる人が笑ってしまう一言を言って死ぬって事。
現時点の候補は
「良く焼きで♪」
ってのが最後の言葉でご臨終するの。
もういつ呼吸が止まるか分からない状態で、周りの人もしゃべらなくていいよ、なんて気遣うんだけど最後の最後に力を振り絞って、それでいて蚊の鳴くような声で「良く焼きで」って言うの。
「ウェルダンで」ってのもありなんだけど、人生最後のボケにしてはスタイリッシュすぎるな、と。
なんで、まだ死んでないのに言っちゃうんだよ!って思うでしょ。
だって、これある人から貰った言葉なんだもん。
悔しいけど超面白いと思ったので、これに負けないのを考え中。
絶対にこれじゃないのを言うつもりだけどなかなか思い浮かばない(笑)

とまぁ何にしても、最後は何者として死ぬんだろなぁ、と考える訳です。
男として(サムライとして)死にたいと思うけど、まぁ人間としてでもいいし、自然に帰るって意味で生物として死んでもいいよなぁ。
今後の技術の発展で、サイボーグとして死ぬこともあるな♪
いやはや楽しみだわ。


エピローグ

なんで急にこんな話書いてんの?なんですが、別に死にたいとか死ぬかもって話でない事は理解して貰えるかなぁと思います。
先に新型コロナをちょっとネタとして書かせて貰った時、人それぞれ色んな怒りがあるなぁと思った訳です。
その怒りはどの肩書としての怒りなのかなぁと思ったんです。
また、残念ながら新型コロナで亡くなる方もいれば、不況のあおりで亡くなる人もいる。
他人に感染させようとして亡くなった人もいる。
その亡くなった方もどんな肩書でなくなったのかなぁ、と関心を持った次第です。
例えば、山口良忠さんは人間としてでもなく父親としてでもなく、「裁判官」という肩書で死んだ人だと思っています。
そう考えると、最後に一発ギャグで死にたいと言った私はコメディアンという肩書で死にたいって事でしょうかね(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?