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"普通"が一番難しい!?

子供の頃、テレビのニュースで「○○のため、電車がフツウになりました」と言うのを聞いて、「どうして普通なのにニュースになるんだろう?」と思っていたら、不通のことでした。私の故郷には列車の通る鉄道路線が近くに無かったので、”不通”という同音異義語を知らなかったのです。

普通とは、”どこにでもあるような、ありふれた物や状態”のことだとフツウ考えていますが、”ありふれた”という部分が曖昧で、明確な定義にはなっていません。なので、普通を考える方が、特別を考えるより難しいのです。

一般的には、希少価値のある特別な物に価値があります。例えば、ダイヤモンドはその辺に転がっている石より価値があります。これは、ダイヤモンドがキラキラしていて美しいと感じ、滅多に手に入らない希少性があるためです。

タイトルは忘れましたが、昔読んだ赤塚不二夫先生のマンガで、地底の別世界に迷い込んだ主人公の話がありました。その世界では、そこら中にダイヤモンドがゴロゴロしているので、真っ黒な石炭が宝石でした。また、その世界の女性達は、地上で”美人”と思われる整った顔立ちの人ばかりです。しかし、その世界の基準では、顔の整っていないお姫様が”世界一の美女”でした。この寓話のようなギャグマンガでは、”普通(または特別)というのは、周りの環境によって変わるんだよ”ということを教えてくれました。さすが鬼才・赤塚先生、奥が深いです。

”普通の人”の解釈も、人それぞれです。ある人は、”世の中の多数派の人”や”世の中の平均的な人”を想定しますが、別のある人にとっては”自分の周りにいるような人”を想定しているかもしれません。”普通の人”の解釈ひとつでも、個人差は大きいのです。

心の問題を対象にした場合は、普通か普通ではないか?、という問いはもっと深刻で難しい問題です。正常か異常か?、障害が有るか無いか?、は普通や正常の定義が明確でなければ判断できません。おそらく、普通や正常の定義を明確に答えられる人はいないでしょうし、答えられたとしても万人が納得する答えではない気がします。普通(正常)の境界は曖昧であり、ここまでが普通で、ここからは普通ではない(異常)いう境目が無いのです。

そもそも、普通や正常という概念は、多数派がつくった概念であると考える人たちがいます。その考えによれば、普通や正常も時代の流れのなかで変貌します。周囲の環境が変化すれば、普通や正常も大きく変化する可能性を持っています。

数年前までは、一日中”マスクをした人”は普通ではありませんでした。しかし、いまの状況なら”マスクをした人”は至って普通です。”普通”は本当に難しいと感じます。

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