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古墳探訪#2 石人・石馬がお出迎え 岩戸山古墳

 岩戸山古墳(いわとやまこふん)は、福岡県八女市の北部にある八女丘陵上に展開する八女古墳群を構成する古墳の1つで、北部九州最大の前方後円墳です。どうして北部九州最大という修飾語が付くかというと、九州南部の宮崎県に、これより大きな前方後円墳があるからです。それでも、かなり大きな前方後円墳であることは間違いありません。

 岩戸山古墳は、東西を主軸にして、後円部が東に向けられています。岩戸山古墳の墳丘長は、約135mもあります。後円部は、直径約60mで、高さは約18mです。また前方部の幅は約92mで、高さは約17mです。また、この古墳は二段造成で、北東隅に”別区(べっく)”と呼ばれる一辺43mの方形状区画を有するという特徴を持ちます。別区には、石で作られた石人石馬が祭られています。

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 被葬者は、6世紀初頭に北部九州を支配した筑紫君磐井(筑紫国造磐井)と考えられています。築造年代は須恵器の年代観から6世紀前半と見られ、被葬者と推定される筑紫君磐井に関する記録とも一致しています。この古墳は、文献から被葬者と築造時期を推定できる日本で数少ない古墳の1つです。

 Wikipediaの岩戸山古墳の説明には、『内部主体は明らかとなっていないが、電気探査等で横穴式石室と推定される構造が確認されている』と書かれていますが、この電気探査を実施したのが我々の研究室でした。この探査結果は、考古学関連の学術誌『考古学ジャーナル』で発表しています。

 第一弾で紹介した今城塚古墳の被葬者・継体天皇は、岩戸山古墳の被葬者・筑紫君磐井とライバル関係にあります。日本史で習う”磐井の乱”では、継体天皇の命で九州に出陣した大和朝廷軍に、磐井は敗れました。実は、岩戸山古墳の遺跡探査と今城塚古墳の遺跡探査は、同じ年に実施しています。大昔のライバル同士の古墳を同時期に探査できたことには、何かの因縁を感じます。


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