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アンサング偉人伝#1 粉屋のグリーン

 工学や物理学の分野では、グリーン関数と呼ばれる便利な関数が出てきます。グリーン関数は、様々な偏微分方程式を解く際に威力を発揮します。グリーン関数は、数学的な価値も大きいのですが、実用面での価値は計り知れません。このグリーン関数を考案したのが、ジョージ・グリーンです。

 グリーンは、イギリス中部のノッチンガムという工業都市出身です。家業の粉屋を継いだグリーンは、高等教育を受けていませんが、 独学でフランスの数学論文を読んで、自分流の考えを発展させたらしい。彼は粉屋の仕事を続けながら独学をしていましたが、若い頃は父親の学問に 対する無理解もあって学問に専念できなかったそうです。彼の転機は父の死後で、家業を番頭格の人物に預けて学問に本格的に取り組みました。その努力が実を結び、35歳で最初の、そして歴史に残る偉大な論文を、たった一人で書き上げました。しかし、彼の論文は著名な専門雑誌に載ったわけではなく、自費出版に近いものでした。

 後年に価値が認められた革新的な考え方は、すぐには認められませんでした。グリーンが47歳で早世したせいもあり、彼の業績は長い間顧みられませんでした。彼の偉大な論文は20年ほど全く忘れ去られ、イギリス科学界の重鎮であるウィリアム・トムソン(ケルビン卿) によって、そのアイデアの革新性が認識されるまで、まわりに理解されませんでした。グリーンの遺族も、彼がそのような偉大な人物であるとは思わなかったので、様々な研究資料が散逸してしまいました。もちろん、肖像画なども残っていません。

 私がグリーン関数を勉強するきっかけになったのは、当時流行り始めた新しい数値計算法の境界要素法を理解するためでした。グリーン関数を勉強したころは、グリーンというのは有名な数学者で、どこかの大学の教授だと思っていました。しかし、実際には”粉屋のグリーン”と呼ばれる、大学とは無縁の一般人でした。グリーン以外にも独学で業績を上げた人は少なからずいますが、グリーンのようにアドバイスをしてくれる人物もなく、完全な独学で異例の業績を上げたことには驚くばかりです。

 グリーンのアイデアであるグリーン関数は、現在の数理物理学には不可欠のものとなっています。イギリスではその名誉を讃えるため、グリーンの遺体はウエストミンスター寺院のニュートンの墓の近くに葬られているそうです。


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