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古墳探訪#1 大型埴輪がゴロゴロ 今城塚古墳

 今城塚(いましろづか)古墳は、遺跡探査を本格的に始めたころの思い出深い古墳の一つです。この時の遺跡探査の様子は、テレビのニュースでも取り上げられ、確か”筑紫哲也のニュース23”で放映されました。なお今城塚という名称は、戦国時代に城砦として利用されたことに由来し、江戸時代の絵図などにも今城陵(いまきのみささぎ)などと記されています。

 今城塚古墳は、大阪府高槻市郡家新町にある前方後円墳で、国の史跡に指定されています。造営は6世紀前半と考えられ、当時の最大級の古墳です。宮内庁の治定は受けていませんが、第26代継体天皇の本当の陵とする説が有力です。通常、大王陵のほとんどは、宮内庁の治定を受けているので気軽に遺跡探査や発掘調査はできません。しかし、今城塚古墳は大王陵なのに発掘調査が可能な、極めて貴重な古墳なのです。

 今城塚古墳は、三島平野のほぼ中央に位置している、淀川流域では最大級の前方後円墳です。西向きの墳丘の周囲には二重の濠がめぐり、総長約350メートルで、日本最大の家形埴輪や精緻な武人埴輪が発見されています。しかし、我々の研究室が遺跡探査をしたのは、この大発見の何年も前でした。この時の遺跡探査は、主に前方部を中心に実施しましたが、特に大きな成果は出ませんでした。

 この数年後、我々が遺跡探査のために毎日通っていた道の下で、巨大な埴輪が多数発見されました。これらの埴輪は、大王陵での埴輪祭祀の実態を示すものとして大きな注目を集めました。テレビやニュースで大々的に取り上げられたので、考古学に興味の無い方でも覚えているかもしれません。まさか、いつも通っていた道の下にそんなものが埋まっていようとは、夢にも思いませんでした。図は現在の今城塚古墳の様子で、古墳公園として整備されています。しかし、当時は畑になっていて、こんなにきれいではありませんでした。

 タラ・レバはありませんが、その場所の遺跡探査を依頼されていたら、我々が大発見をしていたかもしれません。運命の悪戯を感じます。

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