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原風景を感じること

今でも覚えていますが、18年前大学院の授業で「自分の原風景を描く」というテーマが与えられました。

愛媛県伊予郡松前町というそれほど大きくはない町から、広島の近畿大学工学部に進学していた僕は、原風景というキーワードに実家の周りの風景や、小学校の通学路の風景、祖父の家の周りの田園風景など、故郷の風景を色々思い出し、自分の原風景というものを考えていました。

その中で選んだ原風景は、実家から川越しに見える工場と、その煙突を描いたものでした。

それから18年間、ほぼ原風景ということについて考えることはなく、生きてきました。

30才で広島から地元の愛媛県伊予郡松前町に帰ってきた僕は34才で自邸を実家の前の敷地に建て、当時、高校生まで過ごした故郷に住まうことになったのです。

夕日がよく見える瀬戸内海を臨む海岸(塩屋海岸)が近くにあり、その風景は毎日見ていた子供の頃には感じることができなかったことが不思議なくらい綺麗で、趣味のランニングをする際は、その夕日の風景みることが楽しみになっています。

ライフワークとして絵を描いたり、自らネイチャーアートと題して、無作為な木目の美しさに魅せられ、その木目にアートを見出したりしている今日この頃。(ネイチャーアートについては、また別の機会に書きます。。)

僕の描く絵や好きな木目の表情には、一貫して穏やかな海のような表現が用いられていることに気づいたのでした。

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(上の2点はホテルの客室の内装からイメージして描いたものです)

そこには、大学院の授業で色々思いを巡らせ、考えながら導いた原風景ではなく、日常的に近くにあった海が僕の原風景だったのです。

意識せずに描いたものや美しいと感じるものの根っこにある風景、それこそが原風景というものではないだろうか。

考えてつくったものではなく、自分が美しいと思うものから感じた「自分の原風景」を大切にしたいと思うのでした。






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