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息子の癇癪で思った事

スピリチュアル界隈では、

執着を手放すと願望が叶う

とよく言われます。


それを改めて思い出す出来事がありました。

癇癪を起こすと、謎ルールが発動するうちの息子君ですが先日、発動してしまいました。

ママの仕事が終わる時間が近いので、お迎え前にリングフィットでかいた汗を流そうと思っているところに

子「パパこのゲーム(switch)一緒にやって」
「お・・・おう。風呂いきたいんだけどなぁ」
10分程やりました。

「じゃあパッパは風呂に入るで」
子「ダメ、今度こっちやって(別のゲーム)」
「エェ・・・、もうさっきのやったじゃん。」

子「じゃあ、お風呂一緒に入る」
「ええよ、じゃあゲーム片付けて」

・・・ここから何だか、ゴロゴロしながらなかなかゲームの電源を切らないでゴネ始めます。
※彼は家にいると絶対昼寝しないで限界まで起きているので、眠かったのもあるんだと思います。

「ねぇ、さっきから何もしないじゃん。風呂入ってきていい?」
子「ダメ!」
「ゲームパッパが片付けようか?」
子「ダメ!自分でやるの!」

「いや、だからさっきから待ってんだけど。 ゲームやっててもいいよ。 おれ風呂入りたい」
子「あsdfghjl!!」
「え?ちょっと何言ってるか聞こえない」

といった感じで、さらに10分・・・

途中、コードを引っ張ったりして
「ゴラァ!やめい!」
と少し声も荒げたりしつつw

「・・・ねぇ、まじで時間なくなってきたからホント風呂入ってきていい?」
子「ダメー!ばつー!」

もう30分は経つかなーといったあたりでは、
子「パパはここにいるの。そんでXXX(息子君の名前)はこっち」
という、いつもの謎位置指定ルールが始まっていました。
ヒックヒック泣きながら。

そこで、どうしたものかと改めて冷静に、自分の

風呂入りたい!



息子君のこの切羽詰まった心境、どちらが大事なのか、と考え・・・

ま、風呂入れなくて、さらにこれが長引いてママのお迎え行けなくても死にゃあしないから、今日は一旦、このルールに付き合ってやるか。

と妻に

「お迎え無理かも」

とメッセージを送ってから

「ねぇ、ちょっと聞いて・・・」
トトト・・・(近づいてくる)

「わかった。おれはお前の事が好きだから、風呂はもういい。さっきも怒鳴ったりしてごめん。今から言うことをちゃんと聞く。何をすればいい?」

子「・・・ここに来て座るの」
「お・・・おぅ」

2階の階段に座らされます。

子「そんで、XXXは1階」
彼は下へ降りて行きます。

ほんの15秒程待ってると

子「パパ1階に降りてきて」
「あ、はい」
子「お風呂行って」
脱衣所に行きます。

彼も来ました。

「・・・で、どうする?」
子「XXXのシャツ脱がせて」
「はい」
子「下着は自分で脱ぐの」
「あ、はいw」

「お風呂入るの?パッパも入っていいの?」
子「うん」

何だよ、風呂入るんかよ!!ww(心の声)

というワケでギリギリお迎えも行けて、お風呂上がった頃にはいつもの彼に戻っていました。

まぁ、正直に歩み寄れば相手も歩み寄りたくなる、という普通の事かも知れない、

そりゃそうか。と思いつつ・・・

あ、これなんか執着を手放すと願望が叶うってのに似ている!
と感じました。

こうなりたい!ああなりたい!を一旦「まぁどっちでもいいや」と忘れて、
=風呂もお迎えも一旦忘れよう

今大事なのは何?そこにフォーカスしよう。
=可愛い息子君が辛そうだからちゃんとそっちを向いてみよう。

そしたら、あっさりと願望が向こうから降りてきた。
=風呂はいれた!お迎えいけた!ww


この相手は4歳児だけれども、これって、世の中、生き方に応用がきく根底にある原理原則なんじゃない?w

最近、こういう日常で感じたものが相似形のように、拡大されても同じように適用されているのではないか、とよく思う+そういうのが好きなのです。

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