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カテゴライズや診断の話(HSP他)

最近、HSPという言葉をネット上でやたらと目にします。

物凄くざっくり言うと「とりわけ繊細な人」。
人口の15~20%の人がそれに該当するとの事。
※あとはググって下さい。

診断テスト系は、エンターテイメントとして結構好きなので、早速色んなサイトで試してみると・・・

まぁ、だいたい中程度~該当、という結果。

それに対するアドバイスとか対処法等は、ホッとするものや「そうそう!」みたいなものが多々・・・

ここで、いつもの
「血液型診断で良くあるアレね」
が私の中で登場します。

アレとは・・・
誰にでも当てはまる可能性が高いものをそれっぽく並べると、多くの人が「当たってる!」
と思ってしまうやつ。
今ググったら、バーナム効果と言うそうです。

私の場合、確かに繊細なところもあるけれど、それは自分の中で特に気にしているところにクローズアップして意識すればそうであって、興味ないところは
「鈍感だねぇ」
と言われたりもする。

言霊、ではないけれどカテゴライズされることで、よりその性質に自分から近づいていってしまうのは不自然なのではないか、と昔から考えてしまいます。
それでカウンター気味になってしまったりと、自分のニュートラルを把握するのに手こずってしまうのだけれど。

って、批判的になっているのではなくて、何にせよ

自分で自分の位置を把握し、しっかり地に足つけることが大事

なので、こーゆうものに良いも悪いもない、と思っています。


例えば、感情というのは本来もわっと沸き起こるものではあるが、そこに「楽しい」とか「悲しい」といった名前を付けると、感情自体もその単一の言葉の意味に収束していく。

しかし、語彙を増やして表現の仕方が多岐に渡ると、本来の感情が持っていたもわっとした形に近づいていく。
但し、本来の形には決してなり得ない。
円を細かい直線で表現しようとしているようなもの。

言葉を知ってしまった時点で、本来の状態には二度と戻れず、語彙を増やすしかない。
なぁんて学生時代に思っていたのは良い思い出、、、
ですが、そんな事に時間をかける前に、自分を知った方が良い。

語彙が増えた方が良いことも多いが、増やさなくても自分を知ることは出来る。


とはいえ、私は常にこういった診断ものにおいて、該当する性質を持つものの、深刻な状況になることはなく、いつも中途半端だなぁ、と思います。

どうなんでしょう。
みんなそうなるのでしょうか。

挙げてみると、、、
ADHD診断⇒可能性あり

とか

学生時代、眠れなくなった時期に自律神経失調症と診断されたことがあるけれど、その後特に支障もなく復活。
躁鬱病の友人を見ていると、いつも
「わかるけど、そこまでいかないよな~」
と思います。

とか

コミュ障かと言われれば、数%の人にそう言われたこともあるけど、組織に属してコミュニケーションをメインとする仕事を致命的に健康を害する事もなく続けることが出来ました。

まぁ、何をした訳でもなく歳を取って
色々安定してきたなぁ~
という実感もあります。

んで、さっきも書いたけれど、自分よりも確実に大変そうな人を見た時に、いつも
わかるけど、そこまでいかないよな~」
って思う、
この中途半端であるが故に出てくる、

わかるけど

これって、
実は活かせる事なんじゃないかって思うようになりました。

要はどちらにも行き来出来る。どちらにも寄り添うことが出来るとやれることは増えるんじゃないかって。

ところで、このHSPって言葉を知った時、妻に話していて
「で、やっぱりおれ中途半端に当てはまるんよ」
妻「私から見たら、充分細かい事を気にしまくっていて面倒臭ぇよ!」

だそうですww


↓ハチワレ部分が中途半端です。


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