見出し画像

人間の尊厳について

~アレックス・ヘイリーの『ルーツ』~

▲ワーナー公式ドラマ『ルーツ』

 アメリカの作家、アレックス・ヘイリーが『ルーツ』(ROOTS)という小説を書いたのは、1976年です。600万部を超える大ベストセラーとなり、ピューリッツァ賞を獲得しました。全米で当時史上最高の平均視聴率44.9%を獲得したこの作品のテレビ・ドラマ(ABC放送で1977年1月23日~30日まで8日連続放送)が日本でも放送され、大きな反響を呼びました。
 この作品の題名の『ルーツ』というのは、「根っこ」という意味だそうです。黒人奴隷たちは、自分は「どこから来たのか」、「何者なのか」を知ることを許されず、家族もバラバラにされました。
 1960年代になって、公民権運動が一定の成果をしめすと、アメリカ黒人たちは、自分たちの歴史をさかのぼって、根っこまでたどりつこうとし始めました。この『ルーツ』という作品は、何と12年の歳月をかけ調査された結果の記念すべき労作です。  

 アレックス・ヘイリーは、自分の先祖探しを、年寄りたちが語っていたアフリカの話から始めました。それは先祖代々語り継がれてきたものであり、それをたどり調べるうちに、それが歴史的事実であることを突き止めたのです。そして、それらを裏付けるために奴隷貿易の資料や国勢調査など公的資料を綿密に調べました。

 ヘイリーは母方の祖先を7代さかのぼり、西アフリカはガンビアのジユフレ村の少年クンタ・キンテに自分の根っこを発見するのです。
 アメリカ黒人の祖先は、かつて自由に故郷のアフリカで生活していた人々でしたが、ある日突然奴隷商人によって連れ去られ、船でアメリカに運ばれ、奴隷市場で売られるのです。そこから、彼らの迫害の歴史が始まります。 

 アメリカに連れてこられる船の中で、彼らは鎖に繋がれ、大小便や船酔いで吐いたものにまみれ、船を漕ぐのを怠けると、いやというほど鞭打たれ、ついには死にいたるという、人間としての権利などまったく無視された世界に身をおくことになります。
 
 クンタ・キンテは、1750年生まれのガンビアのマンディンカ族出身であり、村で尊敬されているイスラム教の聖者の孫に当たります。ある時、太鼓の材料の木材を探している時、白人に捕まり、アメリカに奴隷として売られ、レイノルズ農場では、クンタ・キンテと名乗ることはできず、トビー・レイノルズと名づけられ、使役されました。

 アメリカ南部では、リンカンが奴隷解放宣言をするまで、奴隷制度を合法としていたため、奴隷はすべてにおいて、農園主である白人からの束縛を受けます。奴隷制度のもとでは当然ですが、奴隷はすべて所有者の道具として意のままに扱われ、農園から逃げ出すこともできません。クンタ・キンテは、自由を求めて何度も逃亡を試みたため、制裁として定められていた通り、右足の指のつけ根部分を全て切断されます。そのため花壇の世話係から御者として働くこととなります。しかし、彼は奴隷ではありながらも、アフリカ人としての誇り高き生き方を変えようとしませんでした。白人の非人道的な行為に怒りを覚え、後に授かった娘のキジーには常に白人に心を許すなと教えています。
 
 実際、女性の奴隷は、農園主からの性的な強要を受けることもあり、3代目のジョージが、白人農園主から性的関係を強要された結果の私生児であることが明らかになる場面は、衝撃的です。
 また、奴隷たちには「文字の読み書き」が意図的に教えられていないことも、注目すべき点です。逃亡するのを防ぐため、奴隷たちは、農園以外の情報や知識をまったく与えられませんでした。そのため逃げようとしても、「どこに逃げたらいいのかわからない」という象徴的なセリフは、「不自由」とは身体的拘束のみを指すのではないことをあらためて知らされる思いです。

 「自由」とは制度だけで保障されるものではなく、実質的な苦悩は奴隷解放が宣言された後も続くのです。
 たとえ法制度としての奴隷はなくなっても、黒人たちは自由に行き来することもできません。なぜなら、所有する土地も財産もなく生きていく手段がないからです。さらに白人たちは焼き討ちなどの暴力的な圧力を加え、経済的には多額の借金で彼らを束縛しようと試みます。財産、技能、情報、知識、人脈など、こうしたものを一切持たずに「生き抜くことは難しい」と実感させられます。

 ある時、クンタは一緒の奴隷船に積み込まれ、カルバート農場に売却された女性ファンタ(マギー)に会うために脱走し、再会を果たしますが、彼女はアフリカ人の誇りを捨て、カルバート農場の若旦那の妾(めかけ)として生きていくことをクンタに告げるのでした。

 またアメリカ生まれのベルは、のちにクンタ・キンテが最終的に売られていくウィリアム農場の料理女で、クンタ・キンテが売られてきた時から好意を持っていましたが、アフリカ人としての彼の生き方にはついていけませんでした。のちにクンタ・キンテの妻となり、キジーという娘をもうけます。「キジー」とは、マンディンカ語で『ここに留まる(そのまま)』という意味です。
 クンタ・キンテからアフリカの話を繰り返し聞かされ、ある程度読み書きができたため、恋人の奴隷のために通行証を偽造したことから、制裁として売り飛ばされたあげく、売却先の主人モーアに性的暴行を受け、ジョージを生むこととなります。
 
 さまざまな人間模様が描かれていきますが、黒人奴隷にふりかかる受難の歴史、それに抵抗する黒人の人間としての尊厳、そういう祖先に対する誇りを訴えた作者の心の叫びが、ひしひしと胸に迫って感動すると同時に、自由と民主主義の国アメリカの白人に対する怒りが沸き起こってくるのです。

 このアレックス・ヘイリー自身が語った次のような話があります。「ジュフレ村では、子どもが生まれると父親が7日間姿を消します。懸命に名前を考えるためです。8日目になると村中の人が集まります。太鼓の響きが鳴りわたる中、父親が赤ん坊の耳に口を寄せ、吹きこむように名前をささやきます。それを聞いた人々が次々にその子の名前を叫びます。父親は、夜、子供を抱き、月と星を見せて宣言します。『見よ、汝自身より偉大なるもの、これのみ』と。

 人間一人の誕生をこれほど多くの人々が祝福し、これほどの尊厳をもって、名前をつけ、その偉大さを宣言するというようなことは、現代の日本ではあまり例のないことではないでしょうか。それほど人間の尊厳と民族としての誇りを大切にしてきた黒人たちが受けた迫害はまさに「断腸の思い」というべき耐え難いものだったでしょう。肌の色、言葉、生活様式、文化の違いから、人を差別することの何と罪深いことかを考えずにはいられません。

 1992年2月にこの世を去ったアレックス・ヘイリーの死を想い、黒人差別のみならず、わたしたち一人一人の人間としての尊厳を問い直し、はたしてお互いがお互いをこれほどまでに大切にしているかを考え直してみようではありませんか。例えば、他人の名前を粗末に扱ったりしていませんか。対等・平等な相手として接しているでしょうか。学校や職場の中でも、差別やいじめにつながるような心遣いの足りない言動が増えているのではないでしょうか。自分が差別的なことをしないだけでなく、そういう言動を許さない人に成長していきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?