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「過度な合理化」がチームから当事者感をなくしてしまう

この文章は、NTTコミュニケーションズが提供するオンラインワークスペース「NeWork」がnoteで開催する「 #あの会話をきっかけに 」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。


「石倉さん、今後しばらくはコロナ落ち着いてもリモート出演継続しますので」


これは2019年10月〜コメンテーターを務めさせていただいているフジテレビ系列の報道番組「Live News α」のプロデューサーから言われた一言だ。


僕が取締役をしている株式会社キャスターは2014年の設立時からフルリモートで会社を運営しているし、僕自身もキャスターに取締役として参画する前の2015年から基本フルリモートワークで働いていた。
今までフルリモートワークでずっと働いている中で「寂しい」「物足りない」と感じたことは正直なかった。あるとすればコロナ禍になり、飲みに行けないくらいだろうか。(フルリモートで働くことを推進していると飲み会もオンライン派だと思われがちだが、飲み会はリアルが楽しい派である笑)


だが、番組のプロデューサーに「これからもリモート出演でいきますので」と言われた時はなぜか「寂しい」「スタジオ行きたいな、、、」と思ってしまったことを覚えている。

実務面でいえば、毎回お台場のスタジオに行くより自宅で参加できるので数段ラクだし、ニュースに対してコメントをする、という仕事自体は変わらない。でも個人的になぜか違和感というかスタジオが恋しくなってしまったのだ。

Live News αは毎日23:40〜で、出演の日は21:30〜からメインキャスターの三田アナウンサーやディレクターさんを入れた打ち合わせ。そこで、あーでもないこーでもないと言いながらその日のニュースにどんな情報をコメントとしてお伝えすべきかを決める。

そこから本番まで1時間半ほどはそれぞれ準備したり、コメントや流れを確認したりして本番に突入する。そして本番になれば台本や流れに合わせて進行していく。ここの流れはリモートでも全く一緒である。
それでもスタジオでオンエアしている時に比べて何かがすっぽり抜けて落ちている感覚があった。


結論から言えばそれは「自分が作り手の一員である」と感じにくいことだ。

番組は生放送なので緊迫したまま進むが、スタジオで出演している時はVTR見ながら出演者同士話をしたり、打ち合わせの最中に近況を話したり、終わった後に他愛もない会話をさまざまなスタッフの方としていた。
またここはこうした方がよかったとか、あの対応してくれて助かりました、などちょっとした反省会のようなこともする。

また秒単位で調整が求められるような緊迫感、あと15秒後にVTRが終わり速報ニュースを伝えるのに原稿が来ていないとか、急遽30秒コメント短くしてくれとか、テロップ間違ったので訂正を、とか。。だいたい予定通りにいくことはほぼないし、みんなでなんとかカバーしあってその場をなんともなかったかのように調整し、オンエアを乗り切っている。
週1スタジオに行くだけのコメンテーターであっても「チームの一員」として番組を一緒に作っている当事者感がすごく感じられた。
実際に、僕のコメントが指定されている秒数よりも余ってしまった時に三田アナウンサーが長めにコメントを付け加えてくれたりすることも多々あった。

コメンテーターなんだからそこまで気にしなくていい、と言われることもあるが、僕はその「一緒に番組を作っている当事者感」が楽しくて刺激的だったのだと気付いた。

しかしリモート出演になって「一緒に作っている当事者感」はやはりかなり薄れてしまっている感覚はある。きっとスタジオ内は今までのように緊張感あるし、バタバタしているのだろうが、画面越しに待機しているだけの僕には伝わってこない。


コロナ禍になり、リモートワークを実施する会社も増えた。
ずっとリモートワークをしてきたこともあり、リモートワークにおける相談を受ける機会もあるが、そのほとんどがコミュニケーションの課題だ。

よく聞くのは「雑談が減った」「一体感が作りにくい」などの課題。
正直、「リモートになって雑談が減った」「リモートはコミュニケーション取りにくい」という話に対して「全然そんなことないでしょ、やり方の問題だよ」と思っていたし、Tips交えてそういうアドバイスもしてきた。


ただ、
自分が「あれ、なんか当事者感減ったな」を感じる立場になったことで、場所が離れていても自分はこのチームの一員なんだ、自分は当事者なんだと感じられることはとても大事な要素なんだと改めて実感した。
それと同時に、さまざま工夫する中で自然とその「当事者感」を持てるようになっていたんだなと自社の環境を誇らしくもあった。



リモート出演になったLive News αでは「当事者感」を感じにくくなったのに、フルリモートの自社では感じられるのか。その違いは何なのだろうか。僕が思うに1つは「生の情報が見えること」だと思う。


スタジオにいると、バタバタしているスタッフさんやお互いのフォローしている姿、また放送の進行に関する情報が全て入ってくる。つまり今何が起きているか、誰がどう考えているかなどの「生の情報が見える」。
これがオンライン越しになると見えなくなってしまったことがいちばんの要因だろう。

逆に自社ではコミュニケーションの中心はSlackなどのチャットツールで行う。しかも多くのチャンネルはオープンチャンネル(誰でも入れば見れる)で行われるため、さまざまな過程含めて会社や部署、人ごとなどの「生の情報が常に見えている」状態である。もちろん情報過多になることもあるので、バランスは必要かもしれないが少なくとも「アナタはアナタのことだけやって他は知らなくていいんだよ」とはなっていない。
首を突っ込みたければ突っ込めるし、知りたければ知れる。これが当事者感を作るのだ。



前述した「雑談が減った」「一体感が作りにくい」などの課題の奥底には「アナタはこの情報は知らなくていい」という会社や上司の意図を感じてしまったり、情報が見えないことが多すぎて自分の役割だけやっていればいいといったスタンスが透けて見えてしまうことがあるのではないかと思う。


一定の役職や役割の人だけが情報を握っている、いわゆる情報の非対称性が多くなると「情報そのものが権力」になってしまう。
しかもこの権力は意識的にはもちろん、無意識にでも持ててしまうところが厄介である。オフィスで働いていればデスクで話していたことは周囲に聞こえるし、それによって自然と情報の見える化が進んだりもする。ただ、リモートの場合は意識しないとどうしても「必要な当事者に、必要な話をする」になってしまう。つまり「過度な合理化」に陥ってしまう。

もちろん仕事だから合理的、効率的であることは必要である。だが、チームや組織にいるメンバー全員が「当事者感」を持って仕事を進めるために

- あえて情報を全部出す
- 必要かどうかは受け取る側が判断する

この2つを意図してチームに根付かせられるかがリーダーの仕事になるし、働く一人一人が持つべきベーシックなマインドになるのだと思う。


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