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久保利です。【総会屋撲滅の苦労】

私の原体験であるが、総会屋を撲滅するための苦労の原因は、
日本企業の根腐れにあった。

総会屋を撲滅するのに、利益供与罪(1982年)の新設施行から、
20年以上かかってしまったのだ。

私は1984年から、総会屋対策のための著作を次々と刊行した。
(共著を含む)

株主総会の運営・対策-紛糾総会の徹底分析から
中央経済社 | 1984年4月
株主総会を乗り切る法 実例に見る総会の新動向
中央経済社 | 1986年4月
会社主導型株主総会のシナリオ-2時間運営のテクニック-
商事法務研究会 | 1987年3月
ケースストーリー-株主総会
日本経済新聞社 | 1987年4月
インサイダー取引規制と株主総会
商事法務研究会 | 1989年4月
会社主導型 株主総会のすべて
商事法務研究会 | 1991年2月 初版、1995年4月 新版  
株主代表訴訟と役員の責任
商事法務研究会 | 1993年10月
役員必読 代表訴訟は怖くない
中央経済社 | 1996年9月
株主総会のすべて
商事法務研究会 | 1999年2月 初版、2001年2月 新版
ハンドブックシリーズ1 株主総会
商事法務研究会 | 2002年12月
新しい株主総会のすべて
商事法務 | 2007年3月
新しい株主総会のすべて(改訂版)
商事法務 | 2008年3月
株主に勝つ・株主が勝つ-プロキシファイトと総会運営-
商事法務 | 2008年3月
新しい株主総会のすべて 改訂2版
商事法務 | 2010年4月              ほか

総会屋の本拠ともいえる広島では、県警とタイアップして講演会を開催し、多くの地元企業の総会担当者に参加頂いた。

また、北海道から福岡、高松など、全国各地で総会屋に負けない会社主導型・総会運営の方法を講演してまわる一方、俳優さんにお願いし総会屋に扮してもらうリアルな総会運営ビデオを制作して、この方式の採用を企業に呼びかけた。

しかし、暴力団による、金融機関や企業トップへの直接的な攻撃に恐れをなしたのか、一括上程・一括審議方式を活用した、いわゆる久保利方式の採用に反対して、旧来依然たる個別上程、個別審議に固執し腰を上げようとはしない重厚長大型企業が多かった。

『だが、その流れは変わる』

住友銀行が平和相互銀行を統合する、両行同日同時開催となった合併総会である。また、時を同じくして、従前国営企業であった電電公社(NTT)や国鉄(JR東日本)の総会が行われたことも大きい。

電電公社(NTT)や国鉄(JR東日本)は、従来から総会屋とのしがらみがないことから、一括上程一括審議方式に踏切ることができたのだ。

ここを境目として、私の提言した方式が優勢となり、2時間程度で円滑に議決がなされるようになり、総会の民主化が進捗していく。

しかしその間も、イトーヨーカ堂、キリンビール、高島屋、味の素など、企業の総会担当者や役員、経営トップは、利益供与罪で次々と逮捕起訴されていった。

企業トップの絡む総会屋への利益供与が度重なると、業を煮やした東京地検特捜部が捜査を開始し、1997年5月には第一勧銀・四大証券の利益供与罪が発覚し、社長や代表取締役が逮捕、拘留され起訴された。第一勧銀では同年6月に元会長が自死した。

1997年12月には商法改正による重罰化が導入され、それまでの懲役6ヶ月が懲役3年と重い刑罰に改正された。

それでも日本企業の牢固たる前例踏襲システムは、総会屋に利益供与するために悪知恵の限りを絞ってしまう。

子会社や孫会社を利用したり、海の家の借り上げや本社に飾る絵画や植木のリース代に藉口し経費を仮装して、利益供与を続けていったのだ。しかし、これらの抜け穴は法改正により次々と埋められ、同時に捜査当局の努力により立件される。

結局、総会屋がなりを潜めたのは21世紀の声を聞いた後であった。

世論の要求や法改正にもかかわらず、日本を代表するような財閥系や業界のリーダーと目される企業が、経営トップぐるみで利益供与を続け、株主の貴重な財産を、総会屋や暴力団に流出させる違法行為が、後を絶たなかったからだ。同業者と連携して、警察の捜査情報に気を配る横並び対応や、総会担当者に責任を押しつけ尻尾切りをして切り抜けようとしたのである。

私の闘いは長く続いた。

<以下、その時代の様子がわかる、クボリチャンネル(YouTube)の対談内容です>

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久保利英明×堀威夫(株式会社ホリプロファウンダー)
クボリチャンネル2月対談より

堀「僕は、先生と最初に会った時は、総会屋を退治する人じゃなくて、総会屋が来たのかと思った」「久保利さんを知らない人が見たら、弁護士とは思わないでしょうね」
久保利「思わないでしょうねぇ」

堀「しかし、勇気あるなあと」
久保利「(笑) 楽しいんですよ」
堀「やっぱり夜道を歩くときなんか、注意しなきゃいけない時期があったんでしょ」
久保利「時期は、ありました」
堀「ねえ」


久保利「ただ、もうさすがにね、そういう時代ではないですからね。いい時代になりました」
堀「そうですね。それは、だけど、先生のおかげ、功績がそうさせた面があるでしょうね」

久保利「多くの企業の方々が、それで行こうとおっしゃっていただいて、堀さんもそうだけど、堀さんはじめとして、みんなが、いや、総会屋なんかに金なんか払うかと。自分達は上場して、一生懸命ステージをあげようと思ってるのに、そんな奴らに屈してなるものかと。そういう気合のある経営者っていうのがいなければ、いくら僕が叫んでみたって、まあ、久保利は、あんな奴だから、ほっとけで終わっちゃいますよね。やっぱり利用して頂けたんで」
堀「いやあ」
久保利「すごい良かったなと思います」
堀「それは、本当にお陰だと思ってます」

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久保利英明×内藤晴夫(エーザイ株式会社 代表執行役CEO)
クボリチャンネル4月対談より

久保利「もう何年になりますかね。初めて会った時って、なんだかもうずっと昔のような感じがして(笑)」

内藤「えっとですね。1989年ですね。私が社長に就任した時なんですけども。その時に株主総会をもう1回フレッシュに見直そうと」
久保利「そうでしたね」
内藤「久保利先生に総会の顧問をお願いしたのがきっかけだったですね」
久保利「ありがとうございます」

久保利「総会屋をなんとか追っ払わなきゃいけないと一生懸命やってるんだけれども、なかなかひろがらない、事件が次から次へといろんな会社で起きてるし。大変だという時に、

エーザイから総会の指導を頼むよ。とこういうふうに言われて、すごく嬉しかったっていうか、伝統のある立派な企業もその方向でやってくれるんだ。というのは嬉しかったなと。あと、当然30年前ですから、30年以上だから、若かったですね」

内藤「そうですね、40でした、ですね。ええ」
久保利「ほんとに元気はつらつで」
内藤「いやいや」

内藤「私はね、先生にやはり株主総会の美学ね」
久保利「うんうん」
内藤「美学を教えてもらったと思ったですね。で、先生いつもこれは社長のショーなんだと。あのワンマンショーなんで」
久保利「はい」
内藤「それをあのどれくらいね、しっかり且つ美しくできるかというのが大事なんだよ。ということを本当に教えてもらいました」
久保利「(笑)申し上げました、確かに」

久保利「結構、ストレスですよね。それって」
内藤「いや、でもね、ですから、美学であるから形式的な形式美もいれば、
実質的な質問に対して、ちゃんと答えるところもいるということで。最初からどんな質問も答える
と。その当時我々は、一応、商法。当時、商法でしたね」

久保利「商法ですね」
内藤「商法の総会のところで勉強すると、総会の議事に関係ない事項は、一応拒否できるんですよね、回答」
久保利「はい」

内藤「そういうことでちょっとまあラーニングしたんですけど、

先生は、『いや、そうじゃないんだと。一応受けて、答え方はなんぼでもあるんで、そこはあのちゃんと受けて答えることは、大事なんだ』っていうことも言われたんです。ですからね、どんな質問が出ても、答えるんだという決意と、そして逆に言えばどんな質問が出ても、まあ怖くないよね。という雰囲気を身につけましたね、先生のご指導で(笑)」

久保利「なるほど。いや、思い出しますよね。結局、逃げるなっていうことなんですよね」
内藤「ええ」

久保利「受けて立て。と。別に、会社の秘密を全部言えとか、個人的なプライバシーの話を、全部言わなきゃいかんとか、そんなことないんだよ。

とにかく逃げてるな、この社長はと。意気地がねえな。と、こういう風に思われるとまずいよ。と。

もちろん、その社長さんごとに、使い分けは僕もしてるんですけど、

総会屋が目をつけるところというのは、この人は意気地がある人かない人か、で、この人は逃げる人が逃げない人か、で、パワーがある人か、ない人かっていうところを、あいつら見るんですよね。

その時に、世の中的には、三代目の坊ちゃまか、若いな。ということは、ある意味では、与しやすし。というふうに向こうが思ってくるかもしれない。

その時に逃げない、戦う。そして、元気に応対をする。これが立ち方だと僕は思ったんですよね」

内藤「ですからね、当時はね、リハーサルが大変で」
久保利(笑)
内藤「本番も、ものすごく大変なんですけど、リハーサルも大変で、もうリハーサルの時にとにかく、こう、議長をめがけて」
久保利「はい」
内藤「物がなげられると」
久保利「はい」

内藤「当時、それに当たってですね、議長が昏倒したっていうのもあったんで、そのウイスキーのミニチュアボトル、ミニチュア瓶をね、投げられるやつを避ける練習とかね」
久保利(笑)

内藤「それから、マイクを奪われるというんで、弁護士の方の中にサッカー部の人がいて、彼が後部の方からダーッとダッシュしてきて、議長のマイクを奪いに来ると。それをどうやって守るだとかですね。そういう練習もやったりして」
久保利「乱暴でしたね、考えると(笑)」

内藤「すごい世界だと。いうふうに一時期、思いましたね」
久保利「確かにね、当時はそんなのが日常茶飯事で起きて」

久保利「専務さんだとか、副頭取だとか殺されたりする事件だってあったぐらいですから」
内藤「そうでした、ですよね」
久保利「それで、みんな一蓮托生で体を張って」
内藤「ええ」

久保利「練習もしなきゃいけないし、本番もそうだし、大変な時代でしたよね」
内藤「本当にとにかくその議案に関係ない質問も基本的に受けるっていうことにいきましたんで、大体そういう議案外のことの質問が多くて」
久保利「多いですね」

内藤「そのQ&Aが、議場を支配するんですね。議場の雰囲気を決めちゃうので。もちろん議決権は問題ないんだけれども。やはり、議場の雰囲気をちゃんと議論するっていう雰囲気(にしないといけない)。ポジティブで、温かみのある総会にしなければいけないと、先生から指導を受けてました。

5年間ぐらい毎回来られて同じ質問をされる方おられましたね。答えられる範囲が決まってるんですけども、丁寧に会社の立場を説明して、5年経って、「議長の言っていることは理解できるので、これでもう私は来ません。」ということで、次からお見えにならなかったことありましたけど、そういう事案もありましたね」

久保利「だから、やっぱりそれは逃げないで、戦うんだと」
内藤「ええ」
久保利「これは何年やっても同じだわ。と、

結局は、利益供与しないかといろんな誘いをやっても、応対してくれないし、で、総会に行けばビシッとちゃんと答えてくれるし。まあ、そういう、辛抱強く、真っ当な戦い方を僕は申し上げてたつもりですよね」

内藤「久保利先生は、もうすでに高名な本当に戦う弁護士でいられて、まず、第一に、先生のコスチュームですよね」
久保利(笑)

内藤「これがですね」
久保利「今日は、地味な方ですよ(笑)」

内藤「何でこうなんだと。というのを興味あるじゃないですか。

それで、まあ、聞いたら、先生が生涯の敵として戦われていた連中が、だいたいこういう格好してるんやと。で、彼らに負けるわけにはいかないです。ですから、自分もその矜持を示すためにね、こういうウェアなんですよって聞いて、非常にあの得心したのを覚えてますね」

内藤「先生に教わったことを、だいたい4か条ぐらいあるんですけども、それを毎年、総会の前に、いちおう筆で書いてるんですよ」
久保利「すごいですね」

内藤「それが、もう30何通溜まってます。その時々で、いろんなことがあるので、ちょっとそういう時もそこに書いてある文面を見ると(笑)結構あの当時の情景が思い浮かばれるような、ひとつのちょっと経営者としてたどってきた軌跡がそこに出てますね」
久保利「確かにね。毎年毎年、いろんなトラブルは中にはあるわけですから」

久保利「とにかく、覚えているのは、総会が近くなると、「肉を食うんだ」と。肉を食って、元気をつけて、戦う闘争力を高めるんだと。まさに、免疫力を強めるようなそういう食生活をされて、本当もうパワフルだから、これなら負けないなあと僕は思いましたね」



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