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【私自身が検察任官のお誘いを受けました(久保利)】

スタッフV「一緒に闘われた修習生の中で、検察の道を選んだ方はいらっしゃいますか?」

久保利
 このときの仲間は、修習地の東京地検だけでも10人以上いたと記憶しているので、その全ての消息を知っているわけではありませんが、任官希望者はいなかった様に思います。

ところが面白いことに、東京での修習で、検察の指導教官であった検察官から、私自身が検事任官のお誘いを受けました。

「私みたいな異端児は、検察官同一体の原則がある検事には、向かないでしょう」と尋ねると、

彼は私が仏の4組で起こした、東大出身者への手紙送付事件や、取り調べ修習拒否の事も承知の上で、異端児とは言え、それなりの理由があることは理解する。只のトラブルメーカーとは思わない、と答えられました。

「それにしても、なぜ私を」と突っ込んでうかがうと、「最近の裁判官・検察官の任官志望者は皆、素直で優秀だが、自己主張がないから物足りない。信念を持って、正義を実現しないと検察の価値がない。

検察官は独任制官庁とされているのはそういう意味だ。君ならやってくれそうだから勧誘するのだ。検察官同一体の原則とは検察官の議論の上で決まった結論を共有するもので、単純な上命下服ではないよ」との答えでした。

なるほど、そんなものかとは思いましたが、「申し訳ありませんが弁護士になりたくて司法試験を受けたので」とお断りしました。

取り調べ修習は拒否しましたが、検察修習の評価は合格でした。1960年代の検察庁はまだ牧歌的で、リベラルな雰囲気を保っていたように感じます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

スタッフZ「その時の【覚悟】が今何かに役立っていると感じることはありますか?」

久保利
 そのときの「覚悟」が今何かに役立っていると具体的に感じることはありませんが、私利私欲ではなく、公正な正義感に基づく行動は、心ある人には必ず理解してもらえるという確信は、この検察の指導官の言葉に基づいています。

栄達や富貴、成功という邪心を持たず、正義を実現しようとすれば道は開けると言うことです。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という格言は、こうした苦難を超えてきた先人の経験に裏打ちされていると信じます。

それでもうまくいかないときは、人を恨んだり、愚痴をたれるのではなく、夜空に広がる大宇宙に身を委ね、シリウスの高みから俗世間を見下ろして、「小せえ小せえ」と大見得を切って、心機一転、新戦略を編み出すことです。

人生100年と言っても、永遠の宇宙から見れば、ほんの一瞬です。己を偽らずに、身命を賭して限られた時空を生きることに勝る喜びはないでしょう。明日命運が尽きてももって瞑すべし、の覚悟を得られたことに感謝です。

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