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#67 なんだか身体が重い、痛い、その根源

執着しゅうじゃくという言葉があります

これは多くの方が聞いたことがあると思います
執着しゅうじゃくを手放そうとか、よく言われますよね

執着しゅうじゃくと聞くと、
小さい子どもが、壁などにシールをペタペタと貼ってしまい、
なかなか剝がせないような、
あるいは、食べていた料理の汁が洋服に付いてしまい、
なかなか取れないような、
そのように離れないような、何かに対する思い入れであったり、
自分の欲だったり、
これが執着しゅうじゃくというイメージだと思います

仏教においては、この執着しゅうじゃくを手放していくことで、
心が楽になってくると教えています

しかし実は、この心のことと思われがちな執着しゅうじゃくは、
私たちの身体にも起きることなんです

みなさんにも経験があったり、
今現在にも感じている方がいるかもしれません

はっきりとは説明できないけれど、肩の辺りが痛いような感じがするとか、
なんだか身体が重いとか、痛いとか

私自身も、左足に障害を抱える障害者ですが、
最初に症状が出た時は、そんな感じでした
なんだかわからないけど、痛いような重いような感じがする

それは数年を経て、私の場合は神経の病気であったわけですが、
それ以外にも、現在でも右側の肩甲骨の辺りに違和感があり、
背もたれのある椅子やベンチに座る時は、ものすごく気になります

少しずらして座ってみたり、背中を当てないようにしたり、
しっくりいくまで、すごく時間がかかる時もあります

しかし、痛くてしょうがないとかいうわけではないです
違和感としか言いようがない、感覚というか感じなんです

そして病院に行って検査してもらっても、特に異常がない
何か身体のコリだろうから、ストレッチや運動をしなさいと言われる
貼り薬や痛くなったら飲む痛み止めを処方される
あるいは、
ストレスが溜まっているから旅行や散歩をしてみたらと言われる

このように、本人には確実に感覚としてあって、
それが目に見えないから、カメラには写らないから、
心の問題ではないかと言われる経験、
みなさんにも、あるんではないでしょうか?

私たち人間は、心に執着しゅうじゃくを持ちます
でも持ちたくてわざわざ持っているものでもありません
誰かを好きになったり、それがうまくいかなかったり、
何か物が欲しくなったり、それが買えなかったり、
理屈では頭ではわかっていても、それが簡単には忘れられないとか、
心がついていかないとか、そういうことがたくさんありますよね

それが私たちの身体にも、同じことが起きるんです
自分が今まで生きてきた中でのクセであったり、
外から自分を守るためのセンサー、感覚ですね、
これが身体中にあり反応します

大きな音がしたり、突然目の前に何かが飛んで来たら、
ビクッっとなります
運転していて何かが飛び出して来たら、
ヒヤッとして身体が緊張し固くなります
大勢の人の前で、話などをする時にも緊張して、心臓がドキドキし、
身体に力が入り、手や足が震えたりします

このように心の反応と同時に、身体も反応したりするわけです
この身体の感覚の反応、これにも執着しゅうじゃくするんです

例えば、自然界の動物たちは、
天敵が現れると、身体を緊張させて命がけで逃げます
そして逃げおおせると、何事もなかったかのように水を飲んだり、
実や草を食べたりします

究極きゅうきょく緊張きんちょう弛緩しかんですよね
私たち人間もその昔そんな生活をしていたので、同じ反応があります

特に刃物で刺されたりするわけでもないのに、
会社で上司に強い口調で言われたりすると、身体が緊張したり、
逆に悔しくて、心臓の鼓動が早くなり、身体に力が入ったりします

しかもこうした人間の反応というものは、
動物たちとは違いずっと続くんです

職場や学校に行って緊張して、家に帰って来ても緊張して、
自分が出来ていないことに追われたり、お金に追われたり、
過去に悩み、未来に不安を持ち、
今目の前のことにも常にどこかでピリついている

そうすると、身体がこの緊張するというパターンから離れられなくなります

身体が執着しゅうじゃくすることによって、
「はい、リラックスしてくださいね」と言われても、
自分ではそのつもりでも、身体はどこかで緊張のままなんです

身体というのは、筋肉や骨や内臓だけではないです
けんだったり、まくだったり、
他にもこの現代の医学や科学でもわからないものがたくさんあって、
構成されています
いわゆる、思議しぎが出来ない不思議ふしぎなことが、まだまだいっぱいあります

ですから、身体の不調というのは様々な原因があると思います
年齢によるもの、ホルモンによるもの、天気によるものなどなど
ただ、そうなるだけの長い時間をかけて、理由があって、
身体が執着しゅうじゃくを持つようになったのではないかと思います

仏教が教えているように、心の執着しゅうじゃくを手放して、
心が楽になるのであれば、身体も同じように楽になるはずです

心と身体は密接に繋がっています
どちらか片方だけ元気でも、楽になったとは言い切れないと思います
心も身体も、同じように両方考えていかないといけないのではないかと、
私は思います

私たち人間は、いずれ必ず死にます
産まれた瞬間から、どんどん身体も老いに向かっていきます
なんだかんだ言っても、この身体と心と営んで、死まで、
私たちは行かないといけません

自分の心で作り出した余計な緊張によって、
自分の限りある身体を締め付けて生きづらくしていることにも、
気づく必要があります

自分の身体を自然に任せつつ、気づいていく
そこから心に関しても気づいていくことがあると思います
そうした身体へのアプローチも考えてみてはいかがでしょうか?

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