hide_yuki2021

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最近の記事

有明フェリーターミナル

 福岡に長期出張中の二男に車を届けるためにフェリーターミナルまで。といっても、船に載せるのは車だけ。埠頭まで届けた人間はお見送り。預けたあとは徒歩にて最寄りの駅まで、徒歩30分。

    • 何でもない夜を撮る

      いつもの帰り道です。 別に意味はないけれど、ただシャッターを切りたくて。 また明日。

      • 向かい風

         自転車のタイヤに空気を入れた。 地面の凸凹からダイレクトに伝わる振動が心地良い。  ギアにオイルを差した。 カリカリと音も軽やかに変わった気がして意味もなく変速機をいじる。  今日は向かい風。そんな時は軽いギアでゆっくり進む。風に抗わないよう、時間がかかっても焦らない。大丈夫、前には進んでいる。ゆっくりだから少しの余所見は許してもらおう。  久しぶりに晴れた空、秋の入り口の様な雲。道端には小さな花。時には止まってしゃがみ込んでも構わない。猛スピードで走っていたら気付か

        • 海辺の街へ

          車を北へ走らせる。 行き先はどこでも良かった。 海か山かで海を選んで、 北か南かで北を選んだ。 打ち寄せる波が見たかった。 なんてね。 海辺の街で、いつもと違う風景と空気に触れた。 それだけで充分だったかな。今は。

        有明フェリーターミナル

          himawari

          梅雨の終わりが見えてきた、久しぶりの青空。どことなく夏の予感がする一日。 日差しは強く少し外にいるだけでティーシャツの下に汗が流れる。気がつくと道端の花は紫陽花から向日葵に変わっていた。見上げるほど背の高いそれは夏の象徴だ。 どの季節が特別に好きと言うことはないけれど、手放しの開放感は夏だけのもの。今、いちばん待ち遠しい季節だ。

          休日のひとときを水元公園で

          めずらしく予定のなかった休日。葛飾区の水元公園へ。子供らが幼い頃は頻繁に通った公園。久しぶりの今回は犬連れ。 名前のわからない鳥、蜘蛛の巣、睡蓮。 緑の豊かな公園です。名前のとおり水辺もあり、魚網をもって流れを覗き込む親子があちらこちらに見られました。 草の上を歩くのは久しぶりですね。「四つ葉」はありませんか?

          休日のひとときを水元公園で

          「グランピング」というものを

          元は廃校になった小学校。 目的は何もしない時間を楽しむこと。 追われないこと。 余計なことにあれこれと悩まないこと。 愛犬と存分にふれあうこと。 夜はキャンプの魅力のひとつ。 キャンプファイヤー、古い映画、スクールバス、ワーゲン、いたる所にこだわりがあって、灯りはどれも優しい。 木漏れ日の中でまどろむ。 木々のざわめき、鳥のさえずり。 風が運んでくる様々な音が子守唄。 遠くの工事現場の重機のエンジン音。 ローカル線の踏み切りの警報機。 普段なら騒音、それさえ今は心地良い

          「グランピング」というものを

          半径200mの世界

           桜の季節があっという間に過ぎて、紫陽花が咲けば梅雨の頃ももうすぐ。 そんな休日の午後、自宅から半径200mをぶらぶらしてみました。 こんな身近なところにも綺麗事ではない様々な生命の営みがあることにあらためて気づかされる。

          半径200mの世界

          ばら【薔薇】

          バラには貴族の花のイメージがある。ヨーロッパの城にはこの花が一番似合う。タキシードの胸ポケット、仮面舞踏会の謎の紳士が咥えているのもバラの花だ。どの花が好きというのも特にはないけれど、たんぽぽ、朝顔、ひまわりのような庶民的な花の方が親しみが持てる。もちろん、バラに罪は無い。ただ私には似合わないと思うだけだ。 薔薇の花言葉は色や本数で違うそうだ。なので両手に一杯のバラの花束をかかえてプロポーズをする時には気を付けなければならない。そんな機会はこの先も無さそうだけれど。

          ばら【薔薇】

          いつもの帰り道

          いつでもそこにある。でも、同じではない風景。

          いつもの帰り道

          何はともあれ、桜。

          この時期、桜を撮ればそれなりの絵になる。それは花そのものが醸し出す空気感のせいなのか、それとも何世代にも渡って受け継がれてきた私たちの遺伝子がそう思わせるのか。

          何はともあれ、桜。

          青山〜渋谷〜恵比寿

          ちょっとした用事があって青山まで。天気が良かったのでカメラを片手に歩く。 上下左右、頭の中でファインダーを覗きながら、シャッターを切るより前にあれこれ考え過ぎるのは自分でも悪い癖だと思う。 良い写真になるかならないか、それはその風景がどれだけ自分に刺さったかによる。獲物を探すように目を凝らし、やたらめったらシャッターを切っても意味がないのはわかっている。その風景から何を伝えたいと感じたかが必須。構図やテクニック、どう伝えるかは二の次だ。要は風景の中に潜むメッセージを見つけら

          青山〜渋谷〜恵比寿

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          「日の丸構図」ってこういうことですか。

          「日の丸構図」ってこういうことですか。

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          ご近所散歩、夕方

          昼間はなんだかんだと忙しくて、ようやくカメラを手に外に出たのは陽も傾いた頃。 都心の夜景の様にはいかないけれど、それでもご近所のマジックアワー。

          ご近所散歩、夕方

          東京駅で

          寄り道をしたい場所があって、東京駅で途中下車。せっかくなのでバッグからカメラを出して被写体をさがす。ロータリーをうろうろしながら、ファインダー越しに構図を模索する。絵葉書写真にならないように。レンガの壁に寄ってみる。目地が水平になるように気をつけてシャッターを切る。言われなければ東京駅だと誰にもわからないレンガの壁。それでいいのか?そもそもそこに何を感じて、何を伝えたくてシャッターを切ったのもわからない。「伝えたいこと」が大切だったはずなのに。 たとえば、「不思議さ」。 午

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          多摩湖夕景

          多摩湖夕景

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