見出し画像

東京駅で

寄り道をしたい場所があって、東京駅で途中下車。せっかくなのでバッグからカメラを出して被写体をさがす。ロータリーをうろうろしながら、ファインダー越しに構図を模索する。絵葉書写真にならないように。レンガの壁に寄ってみる。目地が水平になるように気をつけてシャッターを切る。言われなければ東京駅だと誰にもわからないレンガの壁。それでいいのか?そもそもそこに何を感じて、何を伝えたくてシャッターを切ったのもわからない。「伝えたいこと」が大切だったはずなのに。

たとえば、「不思議さ」。
午後の中途半端な時間とはいえ、東京駅のロータリーには人影は少ない。たまたまなのか、流行り病のせいなのか。思いの外の静寂に感じた不思議とか、
あるいは「新旧の対比」。
新しくなったとはいえ昔からの佇まいを残す駅舎とその駅舎の低い屋根から飛び出した近代的な高層ビルの対比を表現する。なんて撮影したあとに写真を見ながら思った。ファインダーを覗いている時は新しいビルを余計に感じて、隠すようにしていたのに。なんて未熟者なんだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?