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青山〜渋谷〜恵比寿

ちょっとした用事があって青山まで。天気が良かったのでカメラを片手に歩く。
上下左右、頭の中でファインダーを覗きながら、シャッターを切るより前にあれこれ考え過ぎるのは自分でも悪い癖だと思う。

良い写真になるかならないか、それはその風景がどれだけ自分に刺さったかによる。獲物を探すように目を凝らし、やたらめったらシャッターを切っても意味がないのはわかっている。その風景から何を伝えたいと感じたかが必須。構図やテクニック、どう伝えるかは二の次だ。要は風景の中に潜むメッセージを見つけられるかどうか。

風景からのメッセージを瞬間的に感じられないとすれば、それは自分に【感性】が足りていないだけなのだろう。
ミケランジェロは彫刻とは大理石の塊の中にある像を発見し彫り出すことだと言ったらしい。塊の中にある像が見えるか見えないか。「大理石」を「風景」に「像」を「メッセージ」に代えれば分かりやすい。彫り出すべき像すなわちメッセージが見えるか見えないか、それが【感性】と言われるものだと思う。

気をてらった被写体ではなく、何気ない風景の中に何を感じるか。それは自分の【感性】によるのだろう。磨かれ鋭くなった【感性】は、風景の声を聴き、レンズを向けさせシャッターを切らせる。もちろん私は未熟でまだまだ風景の声を聴くことはできない。この先、そうなれるかどうかも分からない。

【感性】を磨く方法は写真の世界に関わらずいろいろとあるだろう。五感を刺激することだとどこかで読んだ。固定観念にとらわれないことも大切だと。

しばらくは撮った写真を眺めながら想像力を働かせよう。

階段の向こうには何がある?
誰がどんな生活を?
そびえる建造物は何に見える?バベルの塔の物語を思い出す。
落書きは何のため?読めないけど。
いつ誰が?
その人は今幸せ?

そんなことを続けている間に私の【感性】も少しは成長してくれるだろうか。
そう望みつつ、カメラを持ち歩く。
今はただシャッター音が心地よく響く、それだけなのだが。

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