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適応障害になった僕の自己紹介その1

誰も興味がないと思いますが、書いている奴がどんな奴かは知った方が良いと思うので僕について簡単ではありますが記載します。
僕は親のすねかじりで本当にロクな子供ではなかった。

幼少期~高校卒業まで

生まれてから保育園時代

  • 九州某所生まれ。両親は共働きで毎日祖母に預けられる

  • おばあちゃん子、知的障害を持つ叔父が優しかった

  • 人見知りで幼稚園のお泊りも苦手でよく泣いた

  • 運動オンチで男子よりも女子と遊ぶことが多かった

小学生時代

  • 運動オンチで体育が大嫌いだった。特に野球とドッヂボールが嫌い

  • 運動が出来ないことにコンプレックスを持っていた

  • 学校はそれなりに楽しく、お笑い担当だった

  • 一時期、両親が嫌いで祖母の家で暮らしていた

  • 父が怖く、人が怒ることを見るのが極端に怖かった

中学生時代

  • 私立の男子校に進学し、テニス部に入部するも嫌ですぐ辞める

  • ゲームにハマり毎日夜中までゲームをする日々

  • 成績は当然底辺

  • 女性が苦手だった

高校生時代

  • 夜までカラオケやゲーセンで遊ぶ毎日

  • 勉強は相変わらず低空飛行だった

  • 女性が苦手なのは変わらず

  • クラスのヤンキーグループが怖かった

  • 進学する気がなかったが、周りに流され2か月猛勉強して大学に進学

大学時代

  • 都内の大学に進学したが、勉強しなかった

  • 酒とゲームが好きで学校に行かなかった

  • 初めて彼女が出来たが接し方がわからずすぐに分かれた

  • 就職活動を嫌々初めて流されて就職した

社会人1年目からフリーター転落まで

新卒1年目

  • 製造業で朝早い、休みが不規則で少ない、肉体労働

  • 次々と辞める先輩

  • 毎日の酒とゲームが癒しだった

  • ゲームをする時間が欲しくてすぐに退職

時給630円のフリーター時代

  • 母が勤める地元のスーパーにパートで働く

  • 時給630円だったが実家暮らしでそれなりに満足していた

  • 社会人としてしっかり働く友人が羨ましかった

  • 母の勧めで公務員を目指すことにしたが勉強しなかった

フリーター時代、父が突然倒れた

それは突然だった

当時、弟もバイト生活でお互いそれなりに満足していました。
ある夏の日、仕事終わりに自宅でゲームをしていると仕事中の母から電話がありました。

母「お父さん倒れて病院に運ばれたって…」

当時、家には弟と僕がおり、弟のバイクに乗せてもらい父が運ばれた病院に向かいました。父は自営業で電気工事を営んでいました。
経営状態は良くなく、多額の借金返済のため毎日休みなく朝から晩まで働いていました。

病院に到着すると呼吸器をつけてベッドに横になる父、隣で呆然とする母がいました。

母から状況を聞くと、作業中に突然意識を失い倒れたとのこと。現在意識がなく、いつ意識が戻るかもわからない。

医者から告げられる父の病気

病室で家族皆呆然としていると、看護師から呼ばれて主治医の元に行きました。

主治医から、MRIの写真を見せられました。それは父の頭の内部でした。病名は「脳卒中」であり、MRIの写真で見ると脳内出血がはっきりとわかるくらい状況は悪いものでした。

母が恐る恐る「意識が戻るのでしょうか?」と言うと、主治医からは「出血が収まれば戻る可能性があります。断言はできません」と言われました。

その日は母が止まるとのことで、僕らは自宅に帰りました。

父の移送

主治医から実家近くの総合病院に移るように提案があり、父を移送することになりました。移送先の病院は市内でも新しく大きな病院であり、施設も充実していました。
母と僕ら兄弟は交代で毎日父に面会する日々がしばらく続きました。

父の意識が戻る

移送して2ヵ月くらいたったある日、母から父の意識が戻ったと連絡がありました。慌てて弟と病院にいきました。

倒れて数か月でしょうか、久しぶりに父の眼を見ました。
しかし、僕の顔を見て父が発した言葉にショックを受けました。

「君は…誰かな?」

当時かなり衝撃でしたが、主治医から脳内出血で記憶が混乱しているためしばらくすると記憶が戻るとのことでした。

数か月は会話にならない日々が続きましたが、毎日交代で面会は続けました。

弟の決断と自分の将来への迷い

弟は、県内の国立大学を1年で中退し、僕と同じくバイト生活を続けていました。自分の趣味が最優先な男でラノベ、ゲーム、フィギュア、バイクが好きな所謂オタクです。

弟の決断

その弟からある日こう告げられました。

「俺、就職して働く。兄貴はどうするんだ?もう親に負担はかけられないだろ」

驚きました。
今まで自分の趣味が最優先だった弟が、父が倒れたことをきっかけに新たな挑戦をすることを決めました。手っ取り早くお金を稼ぐ手段を選んだとのこと。僕なんかよりはるかにしっかりしていました。

僕は、今までずっと周りに流されて生きてきて、弟からの問いに対して僕は答えることができませんでした。

そもそも父が負っていた借金も僕らの学費や生活費のためです。
父は営業が苦手だったため、知り合いから安い単価で多くの案件を受注しており、ほぼ休みがない状態で働きながら僕を大学まで行かせてくれました。
高校時代、僕が大学合格の報告をしたら父が頭を抱えて悩んでいる様子を思い出しました。学生時代は実家の経営状態なんて知りもせず、父にお金をせびっていました。最低な息子です。

自分の将来を決める

僕も将来どうするか考えました。
父の収入がなくなり、母もパート勤務。このまま実家にいたら迷惑をかけると思いました。

新卒で就職した会社で上手くいかなかった経験があり躊躇しました。本当に社会人としてやっていけるのか?社会人としてしっかり働いている周りの同期や友人と比較してこんなダメな奴が働けるのか?
学生時代、計画的にスキルを身に付ける努力をしなかったため、特にこれとった資格ももっていませんでした。

やったりやらなかったりでしたが、公務員試験の勉強は続けていたため公務員試験を受けて母を安心させてやりたいと思うようになりました。皇宮護衛官、市役所等受けましたが全てダメでした。他にも企業へ応募もしましたがダメでした。

そんな中でも合格するところがあり、そこに就職を決めました。

つづく。


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