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DIME NOVELS ダイムノヴェル第五話

「ご覧のとおりですよ」荒れ放題の行内を金庫室に案内しながら、支店長は警部に答えた。「金庫の中は綺麗なものです」
 金庫の中は、すっからかんである。
「被害額の方は?」
「500万は下らないでしょう。週末ですから」
「正確な額を精査しておいて下さい」
「ええ、勿論」
 二時間ばかりの検分の末、警部が立ち去った後、支店長は受話器を手に取り、いつもの番号を回した。
「私です。…来ました。四人で。…警察は今、帰ったところです。…被害額は500万と言っておきました。…全て計画通りです」
 そして、ため息をつき、もう一本、電話をかけた。

 
 俺は適当な停留所で、バスを降り、その後、路線図を頼りに何本か乗り継いで、落ち合う予定の工場街のガレージへと向かった。
 シケた工場のシャッターの続く、鼠色の通りだった。以前、車で来た時も、そう感じたし、徒歩で、となると路上のゴミにまで気が行くので、より一層だ。金の匂いは丸でしなかった。
 目的の、開くのかどうかも怪しいシャッター横のガタのきた扉を開け、中へ入った。
 庫内は、中型のトラックが二台並べて入るくらいの広さ。貸ガレージの類なのだろう。フランス人なら、ジャン・ギャバンがアラン・ドロンに御託を並べそうな、と言いそうな殺風景な伽藍堂だった。
 そこにシケた顔の男が二人。CとK。
「逃げ切れたのかよ」と俺。
「お前もな。若いのはどうした?」Kが言った。
「モールで別れた。俺はバス。奴は多分、地下鉄に乗ったと思う」
「見てねえのか?」
「俺はお守りじゃねえ。いちいち切符買って、乗せてやるべきだったって言うのか。もし、それがお望みだったのなら、別料金を請求する事案だぜ」
「そんな金は無えよ」Kが、声のボリュームのつまみを、この仕事の熱量の減退を表すように著しく下げた。
 彼に感化されるように、俺の気持ちの潮も引いた。
「訊いてくれよ。一体、幾ら儲かったと思う?」KがCに促す。「見せてやれよ」
 Cが懐から帯も付いていない裸の札束を取り出した。両手に収まる量だ。
 俺は目を疑った。
「これで全部か?」
「ああ」とC。
「お前は、月給を銀行に下ろしに行ったのか?」
「500万は、あるはずだった」
はずだった? クソの様な楽観。
「桁一つ間違っていたとしても、ボストンバッグ一個分にはなる。銀行の奥から、手ぶらで出てきた時、不味い事が起きたんだろうとは思ったが、それにしても、これは酷い」
「桁四つは違うぜ」Kが、唾吐く様に言った。
「誰に担がれたんだ?」今になって、深く訊かなかった事を悔やんだ。煩わしさから逃れる為だったが、その手間を省いた事が、今のドブに繋がっている。仕事だけして、金を貰って、あばよ。これが理想だった。だが、そうは言っていられない。肝心の金が無いのだ。
 「お前がネコババしたんじゃないのか?」と訊こうか、とも思ったが止めておいた。Cの顔を見て、その必要はない、と感じたからだった。そう思わせるに十分な程、彼の顔は醜く変形していた。Kが膂力に任せて俺が訊きたい答えの全ては、訊きだした後である事が窺えたからだ。
「ボスからの仕事だ」とCの代返のK。
「ボスって?」
「テメエの金を、テメエの手下に盗ませたのさ。で、保険会社か銀行に、その被害額を補填させようって魂胆だったんだ」とK。Cに向き直り確認。「だな」
「ああ。そういうシナリオだった」
 B級映画だ。名前も知らない、顔の割に華の無い二枚目俳優が粋がりながら、胸だけ大きい頭の悪そうな女優相手に、男の世界について語っている画が浮かんだ。
「だが、金は無かった。導き出せる答えは、何だ?」
「ボスも金欠」
 Kの答えに、思わず吹き出した。
「奪わせる理由は?」
 Kが頭をフル回転させる。多分、答えは出ないだろう。
「無いなら、やらなきゃいいだけの話だろ? でも、やった。これだけのリスクを背負って。きっと銀行もグルだ。強盗が入った、っていう既成事実だけが必要だったんだ」
「リスクを背負ったのは、俺たちだけ…」Cが折れた歯の隙間から、空気を漏らしながら何とか声を出した。
「いや、俺たちが捕まって、ゲロれば、ボスにだって被害は及ぶぜ」
「俺たちはゲロしない、って信用されて…」
「じゃなく、捕まらない、とされてんのかもな」
「随分、高いな。評価が」とK。
「捕まらない、ってのは『生きて』って意味だ」
 皆が、黙った。どこかで電気メーターの回る音が聞こえた。それくらいの無音だった。
Kが沈黙を破った。「最初から、俺たちは撒き餌って事か?」
 上手く事象を捉えたのかは、分からなかったが、兎に角、自分たちだけが身を削らされた、という事が言いたかったのだろうと思い、頷いておいた。
「なら、誰を信じりゃいいんだ?」とK。
 確かに。今、俺も誰を信じりゃいいのか、苦慮していた。目の前にいるKもCも全幅の信用が置ける存在ではない。それは彼らとて同じだろう。
 俺は、一番最後に仲間に加わった身分ではあったが、話の流れからして、彼らは組織から言われ、俺を仲間に引き入れたのだろうし、俺だけが今も組織の一員であり、彼らの監視役、という事だって彼らは一慮として脳みその片隅には置いておかねばならない。Kはきっと、感覚的にそれを捉えて言ったのだろう。
 皆が敵。…取り敢えずは、クソだ。これは決定事項でいい。
「今、何をするべきか考えようぜ」と俺。建設的な意見。
「金を分けるか?」Kがぶっきらぼうに言った。「本来、その為に此処に集まったんだぜ」
「本来ならな」
「だが、本来の姿じゃあ無え」
「そうだ。本来の場合だと、取り分はどうするつもりだったんだ? 俺は四等分して貰えるもんだと、思ってたんだが」Cに訊いた。
「ボスが半分。後を四等分だ」
「本当は、ボスが半分。テメエが半分だったんじゃねえか?」とK。こういう計算は早い。
「おい、待てよ。俺は裏切っちゃいない」
「ここに皆を集めて、ズドンってのは、あるぜ」
 Kがにじり寄る。俺が間に入る。
Cが諭す。「なら、こんな話し合いの場は持たないだろう。よく考えろ」
「どちらにしても、ボスに半分ってのは、裏切りだぜ」と俺。「四分の一が八分の一になる。まあ今の状況じゃあ、四分の一にしたって、端金だがな。所謂、時給5ドルの仕事だ」
 最後は嫌味だ。必殺のアッパーカットの後に、フックを被せる様なものだった。
「俺をどうしよう、ってんだ?」と覚悟を決めたようにC。スペインの田舎教会へ向かう巡礼者の顔付き。見た事は無いが、多分、こんなだ。
「お前をバラしても、一銭にもならねえが、バラさねえと、それ以上のツケを払う羽目になる。沽券に関わる、ってヤツだ。これはプライスレスだ」
 膂力での殺害へと舵を切るKを、俺が諌める。「バラしたら、それ以上のツケを払わされるぞ。損得考えろ」
「俺は、商店主じゃ無え」
「メンツは大事だが、短気は損気だ。なんの生産性もない」
「じゃあ、どうすんだ? 俺は、このままじゃ収まりつかねえぜ」
 俺だって収まりはつかなかった。格好は拙かろうが、仕事はした。よって、その対価は支払われるべきだ。だが、誰の懐にも金はない。俺にも、Cにも、Kにも、銀行にも。こんな事をやっているくらいだから、ボスにもあるかどうか怪しい。無い金は、動かしようがない。
結論。進退窮まれり。ドブだ。
「サツからも、逃れなきゃいけねえ」現実を少し開陳。皆の反応を見た。
 知るか、とK。下を向くC。
「車はあるか?」伽藍堂のガレージの中で、取り敢えず訊いた。
一縷の望み、ってのを渇望した。飢えは脳にまで来ていた。
「無え。ダッジも、もう一台もモールに置いてきた」
 やはり、の答え。
 取りに行く。それは愚だ。騎兵隊の隊列に、手ぶらで挑むインディアンよりも。俺は初めて、インディアン側の立場になって、西部劇を鑑賞した気になった。どうりで保護団体が迫害だ、と訴え出るはずだ。
「かっぱらうか?」とK。
「お前に、遵法精神は無いのか?」取り敢えずのリード・ジャブ。間合いが大事。距離を測り、勢いを殺した。
「無え。考えてみろ。金は無え。車は無え。組織は俺たちをバラしに来る。サツは俺たちを挙げに来る。法を守ってる場合か?」
「確かに」納得してしまっている俺がいた。
 兎に角、抜け出したい。このドブから。ならば藁にでも、Kの腐れ案にでも。
 歩き出したKのケツを追った。
「まあ、待てよ」とC。「Uがまだだ。俺たちだけでトンズラしたら、いい笑いものになっちまうぞ」
 きな臭い。もうコイツの言葉は全てが、擬い物に聞こえていた。
「まだ、生きてりゃあな」と振り返りもせずにK。
「行って、どうする? 逃げるだけか?」
「ボスを殺る。裏切りには死を、だ」
 ボスを殺す?
 B級映画だ。筋肉を見せびらかすだけの、スポーツさながらのセックスシーンの画が浮かんだ。胸だけ不自然に大きな女。中身なんて無い。
 その後はどうするというのだ? 映画ならボスを殺って、おしまい。
だが、俺たちには、それからの人生がある。
 男の意地。結構な事だ。俺だって出来る事なら貫き通したい。
 バック・ステップ。ただの後退ではない。無闇に打ち込むだけでは、はるばるキンシャサまで行って敗れるのと同義だ。蝶のように舞わなきゃならない。
平穏を夢見る俺。砂浜に続くコテージ。俺はバルコニーから、波打ち際の水着女と、波と戯れるサーファーを、モーニングコーヒー片手に眺める。一銭にもならないクソの様な時間。まともな仕事では、もう得られないクソの様な時間。この仕事が済めば、得られた全て。
俺が得たいのは何だ? 金か? 男の意地か? クソったれめ。
「一緒に来るのか?」Kが、俺に意思を問う。
 答えに窮する。というより答えは無い。何処にも答えなど無いのだ。前にも後ろにも。俺の拳をブチ込む相手は誰だ?
「やめとけ。今、此処に生きていられるだけでも、儲けもんなんだぞ」このドブに引き込んだ張本人のCが言った。
「俺に指図するな」思わず出た。
「ボスを殺して、その後、どうする気だ? 死ぬまで追われ続けるぞ」とC。ドブの中の真理。
「もう今、追われてんじゃねえか。お前の所為で」
「俺の所為じゃあ、ねえ」
「じゃあ、誰の所為だ?」
「分からねえ」
「分からねえ、だあ? 一体、お前は、どうしたいんだ? どっちの立ち位置だ? 憤ってんのか、まだボスに殉じるのか?」
 Cは黙りこんだ。髪の量は同じだが、体はいつもより小さく見えた。
 ラッシュをかける。倒し時を見誤ると、手痛い竹箆返しを喰らう。次のラウンドに持ち越しなどないのだ。
「コケにされて、使われて、お役御免。ハイ、サイナラ。で死ぬのか?」
 Cが蹲る。そこまでのダメージか? 自身のハードパンチャーぶりに驚く。俺もまだまだ…。
 Cが、自身の足首のあたりを手で弄り、取り出した小振りな銃を、俺とKに向けて突き立てた。
 攻守交替。パンチ一つで形勢は変わる。
「本当は、自分の手は汚したくはなかったんだが…。こうなっちまっちゃあ、仕様がない」
「他に、アテがあったのかい?」とK。
「来てねえ奴がいる」と俺。
「なるほど。それで待ってくれってか」
「どうする?」とC。
「どうするって? 順番の事か? なら、俺は後回しでいい」
「という事は、俺が先って事か?」とK。
「飲み込みが早いな」
「どっちでもいい」とC。生気を取り戻した顔。好機に倒し損ねると、こうなる。「口を閉じるのが、数秒変わるだけの話だ」
「良心の呵責ってのは、無いのか?」と俺。
「チンピラが、ほざくんじゃあねェ」
 お前も、な。
「順番を替えて欲しいのなら、替えてやるぞ」俺たち二人を牽制していたCの銃口が、少し緩慢に俺の方にスライドした。
 機を見るに敏。その瞬間、KがCに飛びついた。絡み合うCとK。クソの様なクリンチ。ドブの中で藻掻く男たち。膂力は当然、Kの方が上。Cを組み伏せにかかる。
 そして、銃声。Kの腹が赤く染まった。
 静かに腹を押さえるK。喚かない男伊達。
 髪を乱し、Cが立ち上がった。そして銃口は、俺に。
「仕様がねえよな」
 何が、だ?
「誘っておいて、悪かったな」
「良心の呵責って…」
「それは訊いた!」俺に最後まで言わせず、Cが怒鳴った。
「最後に訊かせろよ。なんで俺を誘った?」
「堅気にはなれねえ、チンピラだからだ」
 ハードブローがレバーに食い込んだ。ご明察。俺は、抗う術を持たないチンピラだ。  
反吐が食道を逆流した。立っていちゃぁいけない。フィニッシュブローを回避する為に、誇りを捨ててでも、取り敢えずは膝を付くべき状況。
だが、俺は膝を付く事が出来なかった。クソの様な男伊達。真っ正面からCの顔を見る。乱れた僅少の髪。汗にまみれた小汚い男。
 意外と面と向かうと撃ち辛いものだ。身を持って知るべきでない事を、身を持って知った。
 ただ銃口は、俺の眼前。Cの人差し指が、ほんの少し癇癪を起こせば、俺の生涯は終わる。
 墓碑には何と刻まれるだろう。チンピラ人生に終始した男…。キュートだ。しかし待て、バラされた後は砂漠に捨てられ、墓さえ建たないかもしれない。第一、俺の墓に、誰が花を手向けるというのだ。
 噛ませ犬に、と安く雇われたチカニート(メキシコ系アメリカ人)ボクサーの周りにでさえ、ラウンドガールは練り歩くというのに。
 歓声のないガレージ。チンピラが死ぬに相応しい場所。
コーナーへと追い詰められるのを感じた。ロープ・ア・ドープ。俺は、耐え忍ばなければならない。

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

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