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Azure
「今この空の写真があったとして、周りを切り取った真っ青な写真見て、どの季節か判る?」
学生時代の話だ。友人が突然そんなことを言い出した。ラジオの天気予報か何かを聴いたことが発端だった気がする。
「どうしたの急に(笑)」
「『春らしい空模様』とか『冬の寒空』とか言うけどさ。実際、空を見ただけでそんな違い判る?これは春の空とか冬の空とか」
特にオチの無い話で、その後で実際に空の写真をトリムして確認してみたわけでもない。
前回クオリアについて書いてる時に、20年以上前の会話をふと思い出した。
で、試したわけじゃないけど、たぶん僕はその違いを判別できないだろうと思う。実際に季節ごとに違いがあるのか同じなのかは知らない。高さが違って見えるかも知れないし、青みの深さが違うかも知れない。でも仮に季節の平均値に違いがあったとしても、やはり一枚だけ見たって判らないと思う。
だから友人の意見に同意する。
だけど、空の色を見ただけでも何か聞こえてきたり、何かが薫ってきたりしないだろうか。
漂う草花の匂い
肌を焼く陽射し
澄んだ空気の壁の向こうから届く鳥のさえずり
頬を刺す木枯らし
「空」をイメージする時、視覚情報以外もくっついていることに気付く。勿論そんなものは、トリムした青空の写真には微塵も写らないけど、こういうイメージもまた、頭の中で切り離すことができないのは事実だ。それらに惑わされているだけだとは思いつつ、案外、判別できるんじゃないかという気もしてくる。
さて、そうやって五感が互いに影響を及ぼし合うことは、容易に想像がつくだろう。でも僕が友人の話から連想したのは、もう一階層奥のレイヤーの話だ。
「共感覚」というものがある。
例えば視覚情報をどのように認識しているかという知覚(クオリア)は本人にしか解らない、って話は前回書いた。
中には、特定の文字を見たり音を聞いたりすると色が浮かんで見えるとか、逆に、特定の色を見ると音が聞こえる、という人がいるらしい。そんな風に、視覚や聴覚等の異なる感覚が混ざり合う知覚のことを共感覚という。
この共感覚の持ち主は、自分の知覚が特殊であることに無自覚なケースが多いそうだ。つまり、文字を見て色が浮かぶとか音が聞こえるというのは、本人にとって極めて自然なことであり、他人がそうでないことに気付いていない、と。
これも結局クオリアと同じことで、外界をどのように認識しているかは人それぞれだ。だから、何かモノを見た時に視覚以外からの情報が混ざりこんでいて、それが貴方の知覚に無意識に作用していることは当然あり得るし、貴方が自覚してないだけで実は共感覚の持ち主だったという可能性もある。
目で見る
耳で聞く
だけじゃなくて、
目で聞く
耳で見る
ということを貴方も知らず知らずのうちにやっているかも知れない。
絵画を観て温度や音を感じたり、音楽を聴いた時に色や触感があったり。そんな風に、世界を知覚するプロセスが人それぞれ違うのだと考えると、実に面白い。
今日の空は、貴方からはどのように見えていますか?どのように聞こえますか?どのように薫っていますか?
もしサポートしていただけたら、本を買おうと思います。心を豊かにして、良いアウトプットができるように。また貴方に読んでもらえるように。