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サウナ 53 サウナ室の争い−みんな違ってみんないい

季節が夏から秋へと移り変わるこの時期に、毎年やらなければならないことがある。海水浴もひと段落した海へ行きイカを釣るのだ。夏の初めに生まれたアオリイカがルアーで釣れる大きさまで成長している。

若いころ私は理想的な釣りバカだった。生活の中心にはいつも”釣り”が占めており、収入も時間も釣りに注いでいた。現在は他に興味を取られるものもあり、体力の衰えからも落ち着いてきてはいるが、年に数度は頭の中に”今行けば釣れる”というアラームが鳴るタイミングで海へ向かっている。


イカ釣り

9月の終わり、少し遅い夏休みを取ることができた。数日前から鳴っている頭のアラームに従って、一年ぶりにイカ釣りの道具を用意し海へと向かった。

着いた先は何度も通ってきた場所。ライフジャケット、フェルトスパイク、偏光グラスに身を包み岩場へと踏み込むと、”地形が変わった?”記憶の中の岩の配置とは異なる景色。歩いてみても記憶とのズレを感じる。目的の釣り場に到着しても、まるっきり違う場所でもないような不可思議な感覚に包まれた。

少しの波はあるものの風はなく釣りやすい条件。なによりも良い天気で気分が良い。イカは餌木というエビに似せたルアーで狙っている。いつも100円もしない安い餌木を使っている。餌木でイカを狙うコツは3つのみ。

底付近までしっかり沈める
跳ね上げの初速をMAXで(0→100)
沈める時はフリーフォール(余計な動きを入れない)

たったこれだけで良く釣れる。釣れた時に思い返すと、やはりこれらの操作がうまくできた時である。簡単そうだがやってみると難しい。自分の動きはもちろんだが風や波の影響も大きい。安い餌木は品質が安定していないため動きにブレがあり、それが良い誘いになっている場合もある。

今日はよく釣れた。アオリイカは昼間でもよく釣れる。結構大きなサイズも釣れてくれた。久しぶりにイカ独特の”ぐいーんぐいーん”という引きも味わうことができた。何度も勢いよくロッドを振ったため、持つ指が擦れて痛くなった。手首が腱鞘炎になる前に釣りを終わらせた。12杯ほどの釣果だった。

温泉サウナへ

時刻はお昼過ぎ。せっかくのお休みなのでサウナへ向かうことにした。ここからどこのサウナに行こうか調べてみると。

”越前水仙の里 波の華温泉”が見つかった。

車で30分もかからずに着けそうだ。途中でクーラーボックスに追加する氷を調達すると、イカの保存も心配せずにゆっくり過ごせそうだ。

温泉に着くと、外壁はタイルの補修工事で足場がかかっていた。建物の裏に回れば海が目の前で広い範囲に水平線を見ることが出来る。

中に入って小さな受付を抜けると小さな食堂と休憩室。浴場には高温低温の2つの風呂とその奥に露天風呂。窓からは海が見える。全体的にこじんまりとした浴室だった。入口横にはサウナもあった。

釣りで疲れた身体を洗い温泉に浸かる。肌に手をあてると、ぬるっとした感覚を感じる。なにかしら身体によい感じを受ける。たぶん健康になる。

サウナは2段の小さな部屋。定員は6名のようだが今は3名まで。周りの壁はレンガで雰囲気が良い。部屋の中にヒーターが見えないので探してみると、背中の壁の裏に薄いスペースがありそこに隠されている様子。温度は90℃。テレビはなくオルゴールのジャパニーズポップスが流れている。サザン、松任谷由実、ドリカムなどの曲が、スローテンポで静かに聞こえる。

一人だけの時間を10分ほど過ごした。熱すぎることなく汗はしっかりでる。水風呂には19℃との標示があるが、入ってみると14、15℃くらいで充分冷たい。

水風呂の中から正面に見える温泉には、小さな給湯口、お湯の流れ込みがあった。そのすぐ側に、おじいさんの頭だけが湯からにょっきりと出ていた。壁に背中をもたれながら座り、目をつむり、顔の下半分をお湯の中に浸けた状態でじっとしていた。ぎりぎり息ができているようだ。ここまでお湯の中に身をゆだねている方もめずらしかったため、しばらく目を離せずにいると、ゆったりと前後にユラユラ動いては止まりを繰り返していた。ちょうど流れ込むお湯の揺らぎとともに。

ユラユラ前後に顔が揺れてうつむいたその時、お湯に弾かれるように頭を後ろの壁にブツケていた。目はパッチリとあき正面を見据えてそのまま止まっていた。しばらくするとまた目を閉じユラユラと。前に揺れた顔がお湯に沈んでしまい、驚いて顔を挙げた反動で後ろの壁に頭をぶつけたということだ。

水風呂の中でしっかりと冷やした身体を、浴場内の椅子でのんびりと休めた。

2回目のサウナイン。今度は先客がいた。とても大きな人で4人分のスペースを使っていた。お腹の厚みがすごい。何が入っているのだろう?手術するときは内蔵まで届くのか?などと、街中で大きな人を見かけた時とは違う感想が浮かんできた。裸の生身の身体のインパクトは相当大きい。

水風呂、休憩をはさみ、3回目のサウナイン。中には2人いた。さきほどの大きな人が上下2段の奥半分を使用しており、手前の上段に細身のお兄さんが1人。私はその下にちょこんと座る。お兄さんの足が当たらないように段の先にちょこんとかかる程度にお尻を載せて座った。しばらくすると大きな人が出て行ったので、私は奥の上段に移動した。

それぞれの想い

しばらくしておじいさんが入ってきた。私とお兄さんの間に座った。”あ、上に入るんだ”と意外に思ったが、座るスペースを開けるために少し壁寄りにお尻をズラした。お兄さんも横に動いていたようだ。

10秒程度過ぎたころ、お兄さんが「真ん中に座るときには、すいませんくらい言うもんだろ」とおじいさんに言った。「そんなもん、言わないかんのか」とおじいさんも返した。

お兄さんが「常識のないやつだな」と続けると、「ここは3人座る場所だろう」と返す。お兄さんは収まりのつかない様子ではあるが黙っていた。最後に「このやろう」と小さくぶつけたあとに2人とも静かになった。

私はこの穏やかでない状況を観察していた。まず、”感情を表に出せて2人とも幸せだな”と思えた。私はいつも、怒っている人などを見ると、怒りの感情を表に出せる人は幸せな人だと思ってしまう。ある意味うらやましく感じることもある。

感情を他に伝わる形で表現できる人は、それを許される環境で生きている人だと思う。周りの人たちがそれを許してきているからこそ、怒ることをあきらめずにやり続けている、といえる。まずその部分でこの2人が生きている環境は幸せだと。

次に、”相手のこと(意見)を変えられると信じていることは幸せなこと”と思えた。相手の意見など変えられるはずもないのに、それをいまだに信じていられる環境に生きてきたことはとても幸せだと思う。おそらく周りの人たちが、気を利かせて意見が変わったと芝居をしてくれていたんだろうと想像できる。やはりこの2人はとてもやさしい環境で過ごしてきたのだろうと思う。

それぞれ2人が言ってることは正しい。自分の中の正義として正しい。そして相手のことを変えて自分の正しさに引き寄せたいという思いがある。人を変えられると思っているのかもしれない 自分さえ変えられないのに、人のことなんて変えられるはずがない。

言わずにはいられないだけ、腹が立っただけなのかもしれない。ただ、今もそんなことをしているということは、これまで2人の周りの人たちは、不満を言っても許してくれていたということ。許されなかったのなら不満を言うことを辞めているはずだ。それはとても周りの方に恵まれた幸せな人なんだと思う。

やはりサウナは大人のテーマパークだ。

しっかりと温まった後に水風呂に浸かると 目の前にはおじいさんがまだユラユラしていた。

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