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お絵描きは楽しい

一人っ子で鍵っ子だったから、一人遊びが得意だった。
自分の中の妄想から世界までの距離は子供の頃は近く、今は遠い。
妄想の世界と現実が違うということを自覚しているだけまだましだろう。この境界線が曖昧になり、崩れてしまうとたぶんかなりまずいことになる。


子供時代、自由帳やチラシの裏に絵を描くことが好きで、小学生までは漫画家になることが夢だった。コマを割って描いたこともあるが同じ顔を二度と描けないことに絶望していつからか止めてしまった。
よく見ればプロの漫画でも同じキャラクターが別々のシーンで違う顔をしていることなんて山ほどあるのに当時の僕は自分に納得できなかった。どうしても別々に描いた人物が同じものには見えなかったのだ。

どんなものを描いていたかというと、小学校低学年の頃は主にドラゴンボールの模写、そして高学年になってからはオリジナルのバトルものやギャグを描いていた。
冨樫義博先生の『幽遊白書』や安西信行先生の『烈火の炎』のような能力や道具を使ったバトル。皆川亮二先生の『ARMS』の世界観にも強烈に憧れた。思えば早めの中二病だったのだろう。
ギャグで影響を受けたのはなんといっても南ひろたつ先生の『もうスンゴイ!!!』だろう。次いでうすた京介先生の『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』だ。サンデーとジャンプばかりだな。

当時の自由帳はさすがにもう無いが、自分がどんなものを描いていたというのは意外にもよく覚えている。『烈火の炎』に出てくる小金井薫の武器・金剛暗器のような変形する武器を持った金髪と『ARMS』の主人公・高槻涼のように手が変形する黒髪のダブル主人公のものだった。当時手が変形する主人公が流行っていた記憶がある。他にも目を瞑ってなんとなく思い浮かんだ人物を描いてから、そのぐちゃぐちゃバラバラな線を元にキャラクターにしたりもした。
ただ、やはり別々のコマに描いたキャラクターが同一人物には見えなかったし、頭の中にある妄想と紙の上に現れる絵のギャップがえげつなかった。

描いたものは結局母親とその頃一番仲の良かった友達以外は誰にも見せることがなかったけれど、中学二年で引っ越すときに親戚のおばさんに見られて後日恥ずかしい思いをした。


最近になって百均で買ったスケッチブックに絵を描くようになった。昔のようにコマを割って漫画にすることはないし気合を入れて描くこともない。ただ気楽に描くだけで、イラストとして成立させることも少ない。

幸いにも文房具が半ば趣味だった頃に買ったシャープペンが何本かあるので筆記用具に困ることがない。なんなら鉛筆も芯ホルダーもある。ゲルインクのボールペンやサインペンで描き殴ったりもする。

こうして文章を書くことも何かを発散する行為に違いないが、絵を描くことはもっと身体的で趣味でやる分には楽しい以外にない。ギターを掻き鳴らすことにも似た喜びがある。適当でも兎に角ペンを走らせれば何かに見えてくるものだ。その線から妄想するのも面白い。


これは写真などをまったく見ずに描いた「パリピのアヒル」

楽しく絵を描く。お絵描きは楽しい。

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