見出し画像

SNSのこと

2010年代以降的な暮らしとして僕が思い浮かべるのは、スマートフォンとその中にあるアプリケーションソフトだ。
LINEで連絡を取り、Instagramで情報収集して、Twitterに不平不満を吐露し、Facebookで滅多に会わない(さして興味もない)同級生の近況を知る。
もっと最近になると、YouTubeのコメント欄でレスバトルをして、TikTokを平気で2~3時間も見ている。というような生活。

MySpace、GREE、mastodon、mixi、pixiv、Pinterest、Skype等々。生き残っているものも淘汰されたものもある。いくつものSNS的なものの上に僕らの生活はあるのかもしれない。

2007年のiPhoneの登場が世界を大きく変えたのは確からしい。手の平の上に収まるパソコンを誰もが持つ時代が到来したのだから変化があるのは当然だろう。
NTTドコモ モバイル社会研究所というところの調査では、国内でのスマートフォンの普及率は97%だという。2010年が4%で2015年に50%を越えたらしいので、大体僕の体感とも合っている。

これだけスマートフォンの普及率が上がりSNS全盛の社会になったことで、僕たち一人ひとりが広大なインターネットの海に自分の意見を放つようになったということ、そしてその功罪については、いろいろなところで語られつくしている。


現在主流のSNSについて僕はXとInstagram、Threads、そしてこのnoteをやっている。YouTubeも見るには見ているがTikTokは一切見ない。Xに関しては基本的にパソコンを開いたときにだけ自分の記事を共有するのと気になったネット記事をリポストするために利用している。因みに個人的にはいまだXという呼び名に慣れない。

2022年のイーロン・マスクによる買収以後、Twitter(今はあえてこう呼ぶ)は改悪続きだ。広告も増えたし、閲覧数で稼ぐためのいわゆるインプレゾンビと呼ばれるアカウントがうじゃうじゃいてちょっとしたディストピアの様相を呈している。ラランドのサーヤが「Xは終わり」というのも納得だ。

ある時からタイムラインに「おすすめ」という欄ができた。
フォローもしていない知らない人のツイートが流れてくるのにはじめは戸惑ったが、精神的に余裕のあるとき、もしくは沈んでいるときは読んでしまう。基本的にその時に話題になっている社会問題やバズっているものが流れてくるのだが、僕はその投稿を見るまで知らないことの方が多い。

目に入っては過ぎ去っていくものなので、どんな話題があったか、もうすっかり忘れてしまっている。ひとつひとつのポストにはそれなりに感情が動いたはずなのに、下手するとその日のうちに忘れてしまう。
別に生産性を求めて生きているわけでもないし、意味のある事だけが素晴らしいとおもっているわけでもないが、この感じはなんだろう。空虚、虚無、空疎、いろんな言葉が浮かぶ。

まとめサイトを含む2ちゃんねる以来ネット文化にはそれなりに触れてきたが、これほど寂しいのは初めてかもしれない。強い言葉や不平不満によって生まれるバズとそれに群がる有象無象を見ていると疲れるし、やはり寂しくなるのだ。
誰もが何かに急き立てられるように一家言持ち、お気持ち表明する現代は本当に民主的で進歩的な社会なのだろうか。テクノロジーの使い道が合っているのか疑問だ。
それでも僕はSNSを使用するだろう。もう毒は回りきってしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?