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5:想像するパペット

人は一体、いつ大人になるのだろうか。

生物学的な分野をはじめとして、各界隈でいろいろと主張はあるとは思うものの、精神的に子供のまま年齢だけ重ねるケースも、少なくないのではなかろうか。そして、その境は曖昧だ。線を引くことにも意味はないのかもしれない。

「子供は想像力が豊かだ」とはよく耳にする言葉だ。
では、大人になれば想像力が枯渇するのかというと、そうではない。
その多くは、生きるうえで「自由に思い描くような世界は存在し得ない」ということを学び、あるいは世知辛い社会で生きることに精一杯になり、想像をすることから一定の距離を置くようになってしまうのではないだろうか。

だとすれば、子供の想像力が豊かなのではなく、大人が想像力を手放すだけなのかもしれない、とも思える。
アイデアは子供以上に出るはずなのだ。子供には敵わない、というのであれば、学んだ知識はなんのためにあるのか。

***

私は、とにかく自分の「想像力」に助けられる人生だったと思う。
いろんなジャンルのものを創作し、生きてきた。
それはいまも変わらない。
想像の範疇はんちゅうを超えるようなツラい状況にあっても、どうにか心を失わずにいられたのは「想像力」が、逃げこむ避難所として機能していたからだ。

ときに、人はそれを揶揄やゆして「現実逃避」と呼ぶ。
けれども、まともに生きられない現実から逃避することが、悪いことだとは私は思わない。心身のためには、退路は常に確保しておくほうがいい。

***

私の生きる力ともいうべき、想像することを覚えたのはいつだろう。
さかのぼり、たどり着いた最古の記憶は2歳ごろ。

クマの『パペット』である。

ちなみにパペットというのは操り人形のことで、手袋のように手を入れて動かすことのできるぬいぐるみタイプのものは、ハンドパペットと分類されているらしい。
日本では、ウシとカエルのハンドパペットを左右につけた黒子がネタをやるスタイルの芸人「パペットマペット」さんが広く(?)知られている。

2歳当時、家にはピンク色のウサギと焦げ茶色のクマのハンドパペットがあった。
自然と手や指を動かすことにもなるので、幼児にはぴったりの遊び道具なのだろう。
おそらく、もともとは姉のものだったはずだ。
新しいものが苦手なはずの私が、すんなりその存在を受け入れているのだから、物心ついたときには家にあったに違いない、という名推理である。

母がパペットに手を入れて動かし、なにか喋らせる。喜ぶ2歳。現在でも、よくある光景だろう。楽しい時間だ。
興味をもち、そのうちに自分でも動かすようになる。動かしてなにか言えば、周囲は笑い、大抵は喜んでくれる。
自分がなにかやることで人に喜ばれたい私は、この遊びが好きだった覚えがある。

4つ離れた姉も、私と遊んでくれていた。
姉がピンク色のウサギで、私が焦げ茶色のクマ。自然とそういう役割分担になっていた気がする。とはいえ、姉が幼稚園~小学校などへ行ってしまえば、1人で遊ぶ状況も増える。
このクマのパペットが、1人で遊ぶときの私の相棒となった。

やがて、覚えたばかりの言葉のなかからクマに喋らせる台詞を考え、自分の言葉を代弁させるようになっていく。
自分で動かしながら、想像のなかで、ああだこうだとやりとりもしていたのだろう。

気づけば私はこうして、自然と物語を紡ぐようになっていた。

空想した世界を表現して、物語にしていく。
RPG(ロールプレイング・ゲーム)を作るようになり、世界観を構想し、キャラクターに台詞を喋らせる。
小説を書くようになり、物語のなかで登場人物が喋りだす。
自分がなにか創ることで、人に喜んでもらいたい。

それらの道のはじまりには、クマのパペットがいたのだ。

MPは気力みたいなものだと思おう

***

時は流れる。

私の相棒だったクマのパペットは、家を去ることになった。
私が小学生くらいだったか。母の判断だったのだろう。
確かにもう、ぬいぐるみ遊びの歳でもない。

クマとウサギの彼らが、どこか幼児のいる親戚の家へと渡るのか、役目を終える流れだったのかは覚えていない。幼年向けのほかの玩具は親戚の家へ渡るようだったので、前者の可能性もあるが、ぬいぐるみとして、くたびれた彼らの運命が定かではなかったことは確かだ。

学校から帰ると、すでに2階の押し入れから出され、ほかの玩具と一緒に袋にまとめられた状態で、彼らは階段の上に並んでいた。正確には、このときウサギの姿は確認できなかった。袋のなかに姿が見えていたのはクマだけ。
あとは、階下に運ばれていくだけである。


別れ。


もう二度と会うことのない、
幼少から、私を想像の世界へといざない、何度も救った相棒。

もうすぐ階下に、順に袋が運ばれていくはずだ。
それほど量のない玩具が玄関へ移動するのに、たいした時間はかからないだろう。





別れ。





私は、さよならを言えなかった。





思わず、袋の結び目の隙間からクマの手を引き、拾いあげていた。
いくつかの思い出深い品とともに。

それからも生活環境が変わるたびに、いろんなものを処分してきた。
人が生きていくうえでは、必要なことだろう。すべての物を抱えたまま、生きていくことなどできない。

それでも私は、私に楽しい想像の時間をもたらした相棒には、ずっと別れを告げられなかった。

それは心の弱さだ、と言われればそうなのだろう。
確かに、私は別れを怖れている。
仲良くなった人が、理由も告げずに去っていく。そんなことはこれまでに何度もあったが、いちいち自分に原因があったのではないか、と答えの出ない穴を深掘りすることをやめられず、疲れ果てる。
そして結局、自分を否定されたような気分になって落ちこむのだ。

考えたって仕方がない。そういうふうに、言葉ではなんとでも言える。
けれども心の底では「喜ばれない私には居場所はない」と感じている。

やがて、別れを怖れるゆえに、出会うことも怖れるようになる。
私が新しいものを苦手とするのは、入れ替わりに古いものがなくなってしまうと感じているからなのだろうか。とにかく、変化が苦手だ。

名残惜なごりおしさにまみれた私は、この世を去るときにすんなり腰をあげられるのだろうか。はなはだ疑問である。
だからこそ、自分のやりたいことをしっかりとやらなければ。
最期の瞬間に、笑っていられるように。

幼少期のぬいぐるみひとつのことで、2600字も書いてしまった。


人は一体、いつ大人になるのだろうか。
私はきっと、いまも子供のままだ。


くたびれた私の相棒は、いまも我が家の片隅で静かに眠っている。

黒い眼も取れた相棒



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