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20:オルゴールの音色に寄せて

4歳ごろ。
まだ幼稚園へ通っていなかった私は、家で過ごす時間が多かった。
多かったというか、ほぼ家である。
そもそも出不精の性質が強いので、自分からどこかに行こうという気もない。家がニュートラルな状態である。

私は、大騒ぎする子供が苦手だ。
幼稚園に行く前は、近所の子供と顔を合わせる機会も、そう多くはなかったと思う。
以前にも書いたが、4つ離れた姉が夏休みとなれば、朝はラジオ体操に連れて行かれた。そこで集まっている子供たちを遠巻きに見ては「苦手だな」と感じていた。
親のつきあいの流れだったのか、近所の子供が家に来て、庭で遊んだことがあったが、その好き勝手なやり方に、自分の大事な場所を荒らされたような気分になったものだ。

なにかトラウマになる出来事があって苦手になったというよりは、場を乱すような騒がしい子供が、もともと苦手なのである。それこそ自分が子供のころから。
そういう意味では、べつに子供ではなくても、そういう馬鹿騒ぎする大人も苦手だ。つまり、飲み会みたいなものも大嫌いである。

***

そんな子供嫌いの4歳ごろ、姉の友人が家に遊びに来ることがあった。
おそらく、姉としては友人との時間を楽しみたかったに違いないのだが、私はよくそこに加えてもらっていた。
弟がいるとできないような内緒話などもあったろうに、たびたび邪魔になっていたのだとしたら、なんとも申し訳ない話だ。

姉の友人は、外で遊ぶタイプの人もいれば、室内で過ごすタイプの人もいた。

外での遊びは、地面に描いた円を跳んで渡るものや、輪ゴムを繋げて長くしたものを柱などに結んで跳ぶ「ゴム跳び」など、身体を動かすものが中心だ。まあ、当然そうだろう。

私は、やはりインドア派だった。
そして姉の友人のなかでも、Kさんは特に絵を描くのが上手だった。
つまり、遊び相手としてぴったりだったのである。

室内で大人しく過ごすほうが性に合っている私は、Kさんが遊びに来ると、よく絵を描いてもらっていた。
姉も、しばしば絵を描いた。3人で黙々と絵を描く時間が、私は好きだった。
そもそも私が絵を熱心に描くようになったのも、姉やKさんの影響だろう。
『ドラえもん』なども、最初は姉の真似をして描いたのだと思う。

***

さて、そんなKさんだが、東京へと引っ越すことになった。
親の転勤により、転校ということだ。

別れの前に、父母に連れられて馴染みの海などに一緒に遠出したことも、なんとも思い出深い。
強い陽射しのなかで、白飛びしたような記憶の風景が、蝉の鳴き声とともに蘇る。

東京からは、姉への手紙に同封する恰好で、私宛の手紙も届いた。
自分が逆の立場だったとして、そこまでのことができるだろうか。
優しい人だったのだ、と改めて思う。

姉が小学生~中学生の間は、夏休みにKさんが帰郷し、一緒に過ごすこともあった。
Kさんは女子としてはちょっと珍しく『ドラゴンボール』も好きで、キャラクターの絵もよく描いてくれた。

夏休みの帰郷時にKさんが描いてくれた絵
当時貰った手紙も、手もとに残っている。

私も小学生になったころに、そのあたりの絵を描くようになったので、数年が経っても共通の話題があることが嬉しかったことを覚えている。
帰郷したときも、そして手紙にもよく描いてくれた。

***

とある曲がある。

『愛のオルゴール』(原題:Music Box Dancer)
1974年に発表されたフランク・ミルズの曲。
日本では独自の歌詞をつけたカバー曲
『潮騒のメロディー』としても知られている。
保留音でこの曲が流れるSHARP製電話機も存在する。
(Wikipediaより抜粋)

この曲をはじめて聴いた当時は、題名はおろか、有名な曲であることも知らなかった。いまのように調べることも簡単ではなかった時代だ。
長らく耳にしていなかったが、覚えやすいメロディなので、しばしば思い出しては頭のなかで流れていた。

もう何年も前だが、たまたまYouTubeで聴いて「こういう題名だったのか」とはじめて知った。
今回の記事を書くために引用しようと思ったのだが、題名を失念していて、思い出すのにちょっと苦労した。

いまでも私は、この曲を聴くとKさんを思い出す。

白い円形の台座をまわすと、このメロディが流れる。
台座の上では、ヨーロッパの民族衣装らしきものに身を包んだ、淡い色の陶器の人形が、ゆっくりと回転する。
それが別れの品だったのか、お土産だったのかはわからない。
私が貰ったわけではないので、曖昧なところだ。
確かKさんが、姉に贈ったオルゴールだったと思う。
そのメロディがこの『愛のオルゴール』だった。

***

幼少期の別れなどは、時とともに薄れて当然なのかもしれない。
だが、それがずっと心に刻まれて残ることもある。
二度と会うことはなくても、一生覚えているくらいのものだ。

悪印象ではなく、爽やかな、よい印象で人の記憶に残る。
それは、なかなかできることではないと思う。
私も、そんな人間でありたいものだ。


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